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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ぼくは、自分のブローチをもっていたことがある/似あわないことがわかった…いまは手もとにない

-No.0971-
★2016年05月19日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1897日
★ オリンピック東京まで → 1527日




◆ほんとは〈飾る〉のが好きなボク

 ぼくは、木づくりをする、素木〔しらき〕を好む。
 下手に飾りたくない、意識の底にいつも、さりげない極上の飾りがあり、けれども実現することは滅多にない。

 装飾品とか、装身具とかを目にすると、胸奥でコトッと、かすかな音がするのがわかる。
 とても好きなのだった、じつは飾りが……
 
 (人の場合)男が女に、装飾品をプレゼントするのは、一種の代償行為あるいは補償行為といっていい。
 だから余計に、ぜひとも似あってくれなければイケナイ。

 一般に、(人の)男に、あからさまな装飾がゆるされるのは、祭りのようなハレの日とか、とくべつな場合にかぎられてきた、長い間。
 いまは、そうした縛りがゆるくなったせいで、〈飾り男〉を見ることが格段にふえた。

 ただし正直なところ、本人の自己満足を除り去ってしまうと、似あっていることなど極く稀れで。
 (この人は鏡を見ることがあるのだろうか)と怪しまれる。
 ワケは知れている、愛敬(愛嬌…とはちがう)がないからだ。

 辞書を見ると、「女性や子どもの…」とことわってあることが多いとおり。
 (べつに男性に愛敬は無縁だというのではないけれども)
 生来〈たくまざる〉ということでは、とてもとても、女性にはかなわない。

 愛敬は、古くは「あいぎょう」といった。
 「あいぎょう」は「愛行」とも書かれ、性的にとらえられたりもしたくらいだから、けして男性に無縁ではないのダ、けれども。
 「しこ(醜・鬼)」つまり「つよく丈夫なこと」と、「愛敬」は、もとより対極、やむをえない。

 だから…だろうか、とくに。
 〈飾りもの〉や〈飾りごと〉に、「虚飾」の匂いがまつわることに、男は可笑しいくらいに怯える。
 恥ずかしく、うしろめたい。
 
 ぼくもそうだったが、ほとんど身が竦む…といっていい。

 それでいて、たとえば暮夜、ひとりひそかに〈試し〉てみないではいられない。
 カクニンは、イチかバチかの勝負ごと、という点では表面(じつは女性の方が勝負度胸に恵まれているのだけれど)男性的でもある。

 ぼくは、首飾りも、指輪も、もっていたことがあるけれど。
 いちなんに好きだったブローチは、カメオ・誕生石・木彫と一時は3つも、もっていた。

 ひみつの〈試着〉、胸のときめき……

 すると、ワカッタことがある。
 他人の身に着けているブローチという飾りの、それがどう似あうかということが、とつぜんにハッキリ、クッキリ裸形で見えてしまう。

 その気づきとは…。
 ブローチというアクセサリ-(装飾)は、胸に膨らみのある、つきつめればウェーブする、凹凸のある、脈うつ、自負と不安に揺れる胸にこそ、たしかに似あっている。

 女性の、豊満にすぎない胸、男性のむきむきにマッチョすぎない筋胸、どちらでもかまわないのだけれども。
 ともかく、ふくよかな胸にこそ、羽をやすめる美の壷がある。

 そのどちらもない、ぼくには。
 ブローチは似はわないから。
 それっきり、ぼくのブローチは胸奥に隠密されたたまま……