どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ハイギョは「肺魚」で、「生きた化石」はわるい冗談/「夏眠」して乾季をやりすごす知恵の獲得

-No.0966-
★2016年05月14日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1892日
★ オリンピック東京まで → 1532日




◆10年「雨季」の再来を待ったものもいる

 「ヒト」とか「ツバメ」とか「マグロ」とか、生きものを分類的にとらえるとき、カタカナ表記が使われる。
 これはきっと、学名などを日本語で表現するときの習慣からきているのだろう。
 ぼくなども便利に使わせてもらって、すっかり慣れ親しんでしまった感があるけれども。
 ときに、これはぜひとも漢字で表現してもらわなければいけない、と思われる名称がある。
 たとえば「肺魚」がそれで、「ハイギョ」ではなんのことやら、てんで真実には迫れない。

 その、肺魚
 ぼくは、水族館の「珍らしい魚」のコーナーなどに展示されているのを一瞥する程度で、これまでとんと親しみをこめて対面したことがない。
 というのは、たいがい狭苦しい独房のごとき水槽におしこめられて、所在なげに、世を儚んでいるとしか思えず、ひたすら気の毒なだけだからだが…。

 先日、アフリカの自然ドキュメントに登場したアフリカハイギョというのが、活き活きとした姿でとらえられており、「肺魚」である証拠の息づかい呼吸の様子が愛おしかった。
 乾季になって日に日に水が涸れてゆき、最後にのこった泥水もやがて乾いてしまうのは時間の問題という、土壇場に直面した氾濫平原の肺魚が、懸命に身体を揺すりくねらせて地中へ潜って消えた。

「こうして次の雨季を待つわけだが、なかには雨季に恵まれないまま10年以上も待った例もある」
 と厳かなナレーションの声がかぶさる。
 なにしろ彼ら肺魚は、約4億年前のデボン紀からの生きのこり。かつては淡水にも海にも多くの種が存在したが、いま生きのこっているのはすべて淡水に棲息する6種のみなのである。
 「生きた化石」が、いまも、いつ化石にされるかも知れない危機と隣り合わせだという。
 カンドーして、ぼくは声もない。

 肺や内鼻孔など両生類的な特徴を持つ肺魚は、水圏から陸への進出を目指した種の仲間であろう。それが、どういう事情があってか途中で進化をあきらめ、ゆえに先細りの運命に耐えているのであろう。

 もちろん魚類だから、鰓(内鰓)があり、さらに幼体は両生類と同様の外鰓をも持つのだが。
 成長するにしたがって肺が発達、やがて酸素のとりこみを肺に依存するするようになるという。
 だから成魚は水中にある時、ぼくらヒトとおなじく息を留めた状態にあるわけで、息継ぎのために(数時間ごとだそうだが)水面に上がる必要がある。
 その際、大型で泳ぎはゆっくりだから、天敵のハシビロコウや魚食性のワシなどに狙われやすい。
 (肺魚一匹にありつければ、大型鳥類もしばしの極楽にちがいない)

 そのかわり魚類だけれど水に頼らないですむから、乾季になれば次の雨季まで地中で眠ってすごせばいい。これを「冬眠」に対して「夏眠」と呼ぶ…人間なんてホント勝手なもんだが。
 アフリカハイギョの場合、「夏眠」状態にある地中では粘液と泥とからなる被膜に包まれた”繭”の状態になるらしく。

「雨の日に、家の日干しレンガの壁から、なんとハイギョがあらわれた」
 現地には、こんな逸話があるという。
 化石化を免れた幸運のエピソードというべきか……