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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

50年ぶりのボストンで74回目のフルマラソン完走/君原健二さん…これが最後のフルマラソンですか

-No.0964-
★2016年05月12日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1890日
★ オリンピック東京まで → 1534日




◆2020TOKYOでの役どころはないか

 4月19日の新聞記事。
 18日に行われた第120回ボストンマラソンに、招待された君原健二さん(75)が完走。
 時間は4時間53分14秒。
 ちなみに彼の自己ベストは2時間13分25秒。
 「もう一度ボストンを走ることが目標だった。50年前と変わらない喜びで満足」と語った。
 ボストンマラソンには、50年前の優勝者を招待する慣例があり、君原さんが優勝したのは1966年。
 その「1966」のゼッケンを胸に、ランニングシャツにはかつて着用した日本代表のウエアから切り取った日の丸を縫いつけてレースに臨んだ。

 ちなみに、これで74回目のフルマラソン完走。

 ボストンマラソン優勝の1ヶ月前に結婚した和子さんは。
 「完走できると信じていた。これが最後(のフルマラソン)じゃないかな」と語ったという。

 彼の初マラソンは1962年の朝日国際マラソン(現在の福岡国際)で、3着。
 翌年の東京プレオリンピックでは、競技場内に入ってから先行の選手一人を抜いて、2着。
 64年、東京オリンピックの代表に選ばれた。
 その現役時代は、日本男子マラソンの第1期黄金期。この頃の君原さんを追いかけた記録映画『あるマラソンランナーの記録』(黒木和雄監督)を観て、ぼくは、苦しげに首を傾げて走るランニングスタイルの君原ファンになった。
 (なぜ、マラソンや駅伝が好きになったのか…は、いまだによくわからないけれど)

 東京オリンピックのマラソンでは、日本の代表3人のなかでもっともメダルに近い、と見られていた君原さんだったが。
 プレッシャーに押しつぶされて8着。逆に、親友でもあった円谷幸吉さんが銅メダルを獲得。
 ズンと落ち込んだ君原さんだったが、結婚後の前記ボストンマラソンで優勝、復活。
 メキシコオリンピックを目指していた1968年に、ライバルの円谷さんが突然の自殺死。
 君原さんは霊前にメキシコでの日の丸を誓い、みごとに銀メダルに輝いた。

 何に背中を押されてか。
 第一線を退くまでに走った35回のレースすべてを完走。
 それからも、ずっと、走りつづけた人。

 「あのころは努力で克服できた…けれど、いまはまったくの別世界、素質がないとどうにもんらないレベルかも…」
 と微妙な感想を述べている。

 ところで……

 同じ日の紙面に、3月13日の名古屋ウィメンズマラソンを最後に現役を引退した野口みずきさんのことも、とりあげられていた。
  ・1992年バルセロナ・オリンピックで有森裕子さんが銀メダル。
  ・1996年アトランタ・オリンピックでは有森さんが銅メダル。
  ・2000年シドニー・オリンピックで高橋尚子さんが金メダル。
  ・2004年アテネ・オリンピックで野口みずきさんが金メダル。
 思えばスゴイ12年、それまでは考えられもしなかった女子マラソン、この3人が牽引役になっての黄金期だった。

 とくに高橋さんと野口さんは、6歳ちがいで同時期に競いあったこともある仲。
 高橋さんがシドニーで金のあと、翌年のベルリンで世界新記録を樹立すれば。
 野口さんも負けじとアテネの金のあと、翌年のベルリンで日本新記録を樹立。
 付け加えれば、2008年の北京オリンピックは、事情こそ違え二人とも走れずに終わっている。

 (ボクは知らなかったが)二人は仲がわるいと噂されていたという。
 「それは同じ現役で、目標の人、ライバルでもあったから、憧れを口に出すことはできなかっただけ」と、野口さんは名古屋のあと語った。
 二人はゴール後、抱き合い、ともに泣いたという。
 野口さんも、これからは後輩の指導にあたりたい考えだと聞く。
 いい話しだ……

 じつは、その先に、君原健二さんという完走が代名詞の名ランナーがいる。
 彼の、ひたすら走りつづけた人生が、なにより、後輩選手たちへの励ましのメッセージになっていることを、高橋さん野口さんの二人には、忘れないでほしい。