どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

どうなる、どうする…新国立競技場の聖火台/   膨大な税金がつかわれるオリンピックだっていうのに

-No.0938-
★2016年04月16日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1864日
★ オリンピック東京まで → 1560日




◆聖火台はどうでもいい!?

 どうも、ニッポンという国が近ごろオカシイ、どっかズレていやしないか。
 これは、前からときどきに指摘しつづけてきたことだけれど、どうも”民族疲労”におちいっているように思えてならない。

 教養あるはずの人にまで、不用意で、不注意で、不都合で、相応しくない言動があいつぐ。
 (前からそうじゃないか……いや、以前はタガの外れた人がいたわけだけれど、いまはタガそのものがなくなっている)

 たとえば、2020オリンピック東京大会のメインスタジアム、新国立競技場
 すったもんだの挙句に、ようやく見直しデザインが決まったと思ったら、まぁだ花粉症みたい、グズグズがおさまらない。

 そのひとつ、決まった設計図に聖火台の設置場所がなかった、という。
 「それは、いかようにもなる」とかなんとか、例によっての逃げ隠れ、言いわけ大会である。

 設計者、隈研吾さんが講演会で述べた言葉によれば、発注者、日本スポーツ振興センター(JSC)から依頼された要項には聖火台が含まれていなかったので、考えなかっただけ、ということらしい。
「いま検討チームが考えているところだから大丈夫、心配ない」とか。

 そりゃ、ないでしょう。
 そうじゃないでしょう。
 オリンピックのためのメインスタジアムを考えるのに、聖火台のことを忘れちゃうなんてことが、あっていいのかい。
 オリンピックの精神からしたって、祭典の象徴性からしたって、聖火のない大会なんぞありえない、アタリマエじゃないか。

 JSCも、隈さんも、オリンピック組織委員会も、総括責任者の安倍さんも、競技団体関係者も……
 誰も、はっきり「ふざけんじゃない」と言わないのは、いったいどういう精神なんだろう。

 ぼくは驚きましたね、オリンピックの聖火って、聖火台って、その程度のものだったんですか。
 ぼくは、前にも申し上げたとおり、隈研吾という人の設計感性は好きですよ。
 でも、こんなオリンピック感性には呆れました。
 バツですよ、設計屋によくあるわがままな、ひとりよがりといわれても仕方がない。

 庶民も、黙って、まるで他人のすることみたいな態度は、いいかげんにしないと。
 オリンピックがニッポンに来て、観られればそれでいいじゃナイ、でしょうに。

 それとも、ひょうっとすると……
 「聖火台なんかなくてもいいじゃん」ですか。