どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

定年退職後の〝再任用〟あいさつ状が届いた/   亘理町イチゴ農家が移住した北海道伊達市から

-No.0933-
★2016年04月11日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1859日
★ オリンピック東京まで → 1565日




◆アレから5年の歳月…再確認

 《11.3.11》から5年の節目を迎えたばかりの、その日から、また、ひと月。
 噴火湾沿いの町、北海道伊達市役所のMさんから、この年度末を以って〈定年退職〉の挨拶状が届いた。
 前から聞き知っていたことではあるけれど、あらためて感無量……時の移ろいを想うことしきり……

 アノ東日本大震災の、大津波被害から間もなく。
 北海道伊達市から、宮城県亘理町被災いちご農家へ。
「思いきって海を渡ってこちらへ、イチゴの移住栽培に取り組んでみませんか、支援させていただきます」
 同じ仙台伊達藩の末裔という間柄で、かねてから親交があったとはいえ。
 まだ被災直後の茫然自失状態にあった人たちに、これはまことに稀有な申し出といってよかった。

 そのニュースに接して、支援の”巡礼”活動に発とうとしていたぼくたちも、胸が躍った。
 それから…個人情報保護とやらのバカ厚い壁に遮られながら、訪ね尋ねてようやくのことに探しあてたのが、その年11年の夏。
 以降、巡礼のたびに海峡を渡って訪れつづけてきた。
 
 Mさんとは、その最初からのつきあい。
 Mさんとの出逢いがなければ、ぼくたちの思いがとどくこともなかったかも知れない。

 震災時、伊達市の農務課長だったMさんは、市長の意向を体して被災亘理にかけつけ、6家族8名のイチゴ農家を招き入れた。
 伊達市は、まるごと”援助”では受ける農家の気もちの負担がおおきいことを考慮、「かわりにイチゴづくりを伊達の農家に指導してください」というかたちをとり、住宅・生活経費の提供から営農土地・ハウスの整備・貸与にいたるまで、まことに分のあつい支援。
 Mさんがその先頭に立った。

 それから5年の歳月は……
 さまざまに紆余曲折があって、ほろ苦さをかみしめるものがあって。
 こまかい経緯は省こう……
 
 いまある現実は、これから先、伊達市に居ついてイチゴづくりをしようと志す家族は2~3世帯。
 半数以上は、貸与ハウスの借金返済に目途がつけば、亘理町に帰る意向のようだ。

 結局、他の人との関わりで生きる人にとって、土地もふくめて関わりがすべて、ということに尽きる。
 ぼくたちは、そのゆくたてを影ながら見てきて……
 人の生の営みのむずかしさを想う。

 いきおい、はじめからの事情を知るMさんとの、いまは個人的なつきあいが、ふえて、のこった。
 Mさんは、《11.3.11》大津波の前には、2000年有珠山噴火当時の防災担当も経験されており。
 昨年の夏には、一朝、その噴火跡の大地を案内していただいたが、これも縁……

 Mさんからの〈定年退職〉挨拶状には、つづけて、古巣(?)の危機管理室に〈再任用〉となったことが記されており。
 手書きで「年金受給まで市にしがみつく予定です」と、おどけて見せてきた。

 ウレシイ人には、祝いの酒でも贈ろう。
 そうして、この夏も巡礼の歩みをはこんだときには、また、いつものとおりに一献つきあってもらおう。
 いちご農家のこれからとは〈また別〉なことがあってもいい……