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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ディズニー・アニメ『雪の女王』大ヒットの不思議/アノときの熱狂はナンだったのだろう!?

-No.0930-
★2016年04月08日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1856日
★ オリンピック東京まで → 1568日

*桜が……きのうの冷たい雨で、花吹雪にはならなかったけれど、道に花むしろを広げていました。こんなに、散るのを惜しまれる花はありません。ほかの花たちのように、萎れる姿を見せたがらないところが、ますますこころを揺さぶるのかも知れません*





ホームシアターがいけなかったのか…

 ぼくは愕然とし、ついに時代からとりのこされてしまったか…と思いました。
 哀しくはなかったけれど、気がついたら道が別れ別れになっていた感慨…無量というやつ。

 ディズニー・アニメ『雪の女王』を録画で観て、です。
 このアニメーション映画は、日本での公開が2年前の春でしたか。
 たちまち人気沸騰の大ヒットとなって、興行収入はおよそ半年で日本歴代3位(全世界ではアニメ歴代1位)を記録したとか。

 もっとビックリさせられたのが主題歌「レット・イット・ゴー」への熱狂ぶりで、たくさんの母子連れがスクリーンと一体になってともに唄ったという、稀有な劇場風景がマスコミの話題になったりもして。
 ボクなんか、なにやらそら恐ろしくさえ思えて、ついに劇場には足を踏み入れられませんでしたっけ。

 でも、ボクら戦後っ子世代、ディズニー映画とともに育った記憶はとてもとても鮮明で……
 なにしろ第1作『白雪姫』(1937)からの付き合い、『ピノキオ』(40)や『ダンボ』(41)、『バンビ』(42)は戦後リバイバル上映で観たわけですが。
 『シンデレラ』(1950)、『ふしぎの国のアリス』(51)、『ピーター・パン』(53)、『わんわん物語』(55)、『眠れる森の美女』(59)なんかは、アメリカンな雰囲気にどっぷり、口あんぐりでスクリーンに魅入られ、『101匹わんちゃん』(61)あたりまでは、そろそろ歳は青春期にかかっていながら、精神的にはディズニー・ワールドに遊ぶお子さまでありつづけたものでした。

 もっともっと身近だったのが、短編アニメの主人公ミッキーマウスグーフィー、ドナルドダックたちで。
 ボクらの頃の映画館では、本編の前にニュース映画や短編アニメを上映するサービスがあり、そこに登場するディズニー・アニメの主役たちは、はちゃめちゃにヤンキーな陽気さでスクリーン狭しと暴れまわりました。
 オーバーな身振り、ゆたかすぎる表情、茶目っ気にあふれ、これでもかとばかりにど派手な動きに、ぼくたちはほとんど翻弄されつくしていましたネ。

 それから……
 長い年月を経ながら、ディズニー・アニメもさま変わりしていったのは、そりゃ、とうぜんでしょう。
 そうして、それはしっかりと、いつも、ときどきの時代を反映していました、たしかに。

 けれども……
 作画の巧妙さや、気の利いた仕掛け、ご褒美みたいな舞台装置などにはディズニーらしさ健在、にもかかわらず。
 なにより革命的に大きな変化は、作画(表現法)が、こてこてメタリックになったことではないでしょうか。
 じつはコレがどうも…ボクなんかには、いまひとつホップも、ふたつステップも、宙返りジャ~ンプしてもなじめません、それはタシカです。

 それによって……
 どういえばいいんだろう、つまり…ウン、人情紙風船とでもいいますか、人肌のぬくもり感がうしなわれてしまったからです。
 これがバーチャル、なのかも知れませんが。
 (ウソだろう)って気にさせられてしまうんです。

 はい、ぜ~んぜん、セクシーじゃなくなっちゃいました。
 
 ファンタジーな物語の源泉は、アンデルセン童話『雪の女王』にあっても、アナと女王エルサ、二人姉妹を車の両輪にして描かれる”真実の愛”のストーリーは現代のオリジナル。
 そのせいかどうか、その愛はどこまでも(つかみきれない)透明なままで、女性同士の気脈にしても、異性とのひそやかな交流にしても、観おわって記憶にのこるたしかさがありませんでした。

 ぼくは、大型とはいえ液晶のテレビ画面、いってみればホームシアターで観たわけで、あるいはそれがイケなかったんでしょうかネ。
 ついに、アナとともに席を立って声たかく唄いあげる、そんな高揚感はえられませんでした……
 あの”アナ雪”さわぎは、いったいナンだったの。

 あのとき劇場で、しびれるような一体感をあじわった方々は、いまも、その昂奮さめやらないのでしょうか……