どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

強靭な土と緑の力まざまざ…立山博物館、雄山神社/杉の古株の根元を覆う、苔の艶やかさに命かがやく

-No.0918-
★2016年03月27日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1844日
★ オリンピック東京まで → 1580日













◆ぼくは立山博物館にいた

 遥望館・まんだら遊苑エリア(きのうの記事)をあとに、展示館・資料館エリアへ。
 ひょっとすると、きょうあたりの季節はずれに、訪れる者などボクたちだけかと思ったら、そうでもなかった。
 
 以前は、ウィークエンドにかぎり混みあっていた観光やレクリエーションの地が、働き方が多様化したいまでは年中そこそこの賑わいだし、ヒマもカネもある高齢者がふえるいっぽうだから、毎日が週末みたいなもの、でもある。
 そのくせ、じつはボクなどもそうだが、つい他人さまは別との思いこみがあるから、しばしば目を丸くすることになったりもする……

 が、展示館のなかは静謐な空気につつまれ、寂としていおり、このさいありがたかった。
 館内の展示は、立山信仰の舞台とその世界とが、テーマごとにわけて丁寧に語られ、なかでも”地獄・極楽”立山曼荼羅の絵解きが胸に迫り、また極楽往生に重要な役割をはたす媼尊(おんばさま)像のかずかずに、怖れと親しみとが綯い交ぜになってシンと腹底ふかく、蟠〔わだかま〕り鎮まるものがあった。

 ぼくもきっと、生まれ育ちのなりゆき次第によっては、立山登拝の道を歩んだかもしれない気がした。
 それで、時代の波とどう折り合いをつけていったかを、知りたいとも思ったら大きなクシャミにひとつ、ひやかされてしまった。

 展示館を出ると、空が抜けるように澄みきって青く、風の冷たさがここちよいのは、まちがいなく春の高い足音。
 お掃除のおばさんが杉の枯れ枝を掃き集めている、背中にも陽が温かい。

 ぼくたちは、隣接する宿坊のひとつ教算坊へ。
 かつて、立山登拝や布橋灌頂会に訪れる人々に宿りと案内、さらには宗教儀式をもってもてなした宿坊は芦峅寺に33軒。
 ひと夏に6000人からの参詣客を迎えた、その中心に佐伯家があった。

 山岳集古未来館になっている木造平屋の大きな建物は、まだ雪囲いのなかだったけれど、ここに宿った人々がこころ癒されたであろう庭の緑は、おおきな呼吸をはじめていた。
 池の水も、もうさすがに手を痺れされるほどではない。

 芦峅寺、集落周辺の緑に、ぼくが痛く感じるのは、その強靭さである。
 農耕地の豊かさとはちがって、痩せてはいても、鞣した皮のように艶をふくんで、小さくても玉のような命を芽生えさせる力が漲っている。

 その緑の艶をたとえれば、鼓の音。
 ピ~ンと撥ねて、あらゆるものを突きぬける。

 雄山神社の境内にまわると、その鼓の音色は、もはや、大鼓・小鼓こぞっての競演。
 杉の老樹の根元を覆った苔の衣など、リンゲルの注射液そのままに脈々と身内にそそがれていくような。
 ぼくたちは、その褥にしばらく身をあずけ。
 それから、おもむろに、祈願殿に礼拝におもむいた……。

 参道をでると、表通りの側溝には、雪解けの水が音高く流れて。
 弥陀ヶ原から立山黒部アルペンルートへとつづく立山街道を、町営バスが下ってきた。

 そうしてボクら、昼すぎには富山市街にもどると。
 昼食に氷見の饂飩を食べ、富山銘菓を手土産に、新幹線の人となっていた。