-No.0918-
★2016年03月27日(日曜日)
★《3.11》フクシマから → 1844日
★ オリンピック東京まで → 1580日
◆ぼくは立山博物館にいた
遥望館・まんだら遊苑エリア(きのうの記事)をあとに、展示館・資料館エリアへ。
ひょっとすると、きょうあたりの季節はずれに、訪れる者などボクたちだけかと思ったら、そうでもなかった。
以前は、ウィークエンドにかぎり混みあっていた観光やレクリエーションの地が、働き方が多様化したいまでは年中そこそこの賑わいだし、ヒマもカネもある高齢者がふえるいっぽうだから、毎日が週末みたいなもの、でもある。
そのくせ、じつはボクなどもそうだが、つい他人さまは別との思いこみがあるから、しばしば目を丸くすることになったりもする……
が、展示館のなかは静謐な空気につつまれ、寂としていおり、このさいありがたかった。
館内の展示は、立山信仰の舞台とその世界とが、テーマごとにわけて丁寧に語られ、なかでも”地獄・極楽”立山曼荼羅の絵解きが胸に迫り、また極楽往生に重要な役割をはたす媼尊(おんばさま)像のかずかずに、怖れと親しみとが綯い交ぜになってシンと腹底ふかく、蟠〔わだかま〕り鎮まるものがあった。
ぼくもきっと、生まれ育ちのなりゆき次第によっては、立山登拝の道を歩んだかもしれない気がした。
それで、時代の波とどう折り合いをつけていったかを、知りたいとも思ったら大きなクシャミにひとつ、ひやかされてしまった。
展示館を出ると、空が抜けるように澄みきって青く、風の冷たさがここちよいのは、まちがいなく春の高い足音。
お掃除のおばさんが杉の枯れ枝を掃き集めている、背中にも陽が温かい。
ぼくたちは、隣接する宿坊のひとつ教算坊へ。
かつて、立山登拝や布橋灌頂会に訪れる人々に宿りと案内、さらには宗教儀式をもってもてなした宿坊は芦峅寺に33軒。
ひと夏に6000人からの参詣客を迎えた、その中心に佐伯家があった。
山岳集古未来館になっている木造平屋の大きな建物は、まだ雪囲いのなかだったけれど、ここに宿った人々がこころ癒されたであろう庭の緑は、おおきな呼吸をはじめていた。
池の水も、もうさすがに手を痺れされるほどではない。
芦峅寺、集落周辺の緑に、ぼくが痛く感じるのは、その強靭さである。
農耕地の豊かさとはちがって、痩せてはいても、鞣した皮のように艶をふくんで、小さくても玉のような命を芽生えさせる力が漲っている。
その緑の艶をたとえれば、鼓の音。
ピ~ンと撥ねて、あらゆるものを突きぬける。
雄山神社の境内にまわると、その鼓の音色は、もはや、大鼓・小鼓こぞっての競演。
杉の老樹の根元を覆った苔の衣など、リンゲルの注射液そのままに脈々と身内にそそがれていくような。
ぼくたちは、その褥にしばらく身をあずけ。
それから、おもむろに、祈願殿に礼拝におもむいた……。
参道をでると、表通りの側溝には、雪解けの水が音高く流れて。
弥陀ヶ原から立山黒部アルペンルートへとつづく立山街道を、町営バスが下ってきた。
そうしてボクら、昼すぎには富山市街にもどると。
昼食に氷見の饂飩を食べ、富山銘菓を手土産に、新幹線の人となっていた。