どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

山岳信仰の心根にふれる…想い出の立山博物館へ/ 春の観光シーズンを前に陽は温かく…風は冷たく…

-No.0917-
★2016年03月26日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1843日
★ オリンピック東京まで → 1581日










◆3月11日(金)…陽にようやく春のきざし

 旅立ちの8日からずっと、”もどり冬”の冷え冷えした天気つづきだったのが、この日はようやく緩んで春の陽ざし。
 ぼくらは地鉄富山地方鉄道立山線で、立山連峰の麓を目指した。
 神通川常願寺川の氾濫原だった富山平野を、突っ切って走ること30分ほどで山塊が近づき、やがて山峡へと分け入る。

 ぼくはカミさんに、立山博物館を案内してあげたかった。
 と同時に、自身にもその記憶を呼びもどしておきたかった。
 なぜならそこは、日本民俗の心根に広がると思われる山岳信仰が、ごく自然なかたちで体感できるところだった。

 地元の立山町では「地域まるごと博物館」と呼んでいる、そのとおりのたたずまいがボクは好きだったし。
 春の観光シーズンにはまだ早かったけれど、かえって、そんな時季のほうがこのましいような気分もあった。

 ところが……
 終点の立山駅で電車を降りたところから、俄然、雲行きがアヤシくなってきた。
 立山博物館への行き方を尋ねたら、駅長さんの顔つきがキョトンとなり。
「ここからはバスも、タクシーもないんですよ…はぃ、バスはここから3つ手前の千垣駅からならあるんですが…待ってください、え~と、こまったなぁ、いまからだと、あとは午後1時までバスの便がありませんねぇ」
 彼の戸惑いのこたえに、ようやくボクは自分の思いチガイを悟る。

 ぼくが前に立山博物館を訪れたのは車で、であり、乗り換えなど気にするこたはなかったのだった。
 こんどはじめて電車で行くのに、よく確かめもせずに、立山駅下車と思いこんでしまったのがイケナイ、不用意であった。

 かぎりある地方の交通事情では、乗り換えミスは致命的。
 あきらめかけたところへ、駅長さんが助け舟のヒントをくださる。
「博物館の方へ、電話されてみたらどうでしょう、なんとかなりませんか…って」

 ケッカ、駅長さんのアドバイスがみごと逆転の一撃となって。
 博物館からお迎えの車がきてくださることに。
 まことに申し訳のないことで、この場を借りてお詫びとお礼を…。
 
 春の観光シーズンにむけて、立山ケーブル運行開始にむけての準備がすすむ立山駅には、身に沁みる冷たい風が吹き渡り、仰ぎ見る美女平から弥陀ヶ原方面の山襞には、樹氷の陽にきらめくのが望まれた。

 ともあれ……かくして、辿り着かせていただいた立山博物館。
 立山神社中宮寺の宿坊集落、芦峅寺〔あしくらじ〕にある施設は、展示館・資料館エリアと、遥望館・まんだら遊苑エリアの二つからなる。

 ぼくたちは、まず、閻魔〔えんま〕堂から、此岸(この世)と彼岸(あの世)の境に架かる布橋108枚の敷板を渡って、極楽往生をかなえる媼堂〔うばどう〕基壇に隣接する遥望館へ。
 この館では、畳敷き大広間の壁に、立山の四季の自然と立山曼荼羅の世界が3面の大型映像で映し出されて、不思議空間を逍遥。上映がすむと、スクリーンがとりはらわれた大きな窓の向こうに立山連峰を、もじどおり”遥望”できる仕掛けになっているのだが、いまはまだ惜しくも雪囲いにはばまれていた。

 まんだら遊苑もまだ雪除けの最中で、”地界”から”天界”へ登拝の”陽の道”、再生の”闇の道”なども歩けず。
 また他日、再訪のときにゆだねた。
 それでも芦峅寺集落の人たちにしてみれば、ことしは雪が少なくてまぁ助かった…ということだった。