どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

今年で67回をかぞえる「さっぽろ雪まつり」/  いまひとつ燃えないワケは…やっぱり〝なかだるみ〟

-No.0887-
★2016年02月25日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1813日
★ オリンピック東京まで → 1611日








◆いちど観ておきたい

 てぇのは、いったいどういう心もちのモンだろう。
 とにかく気になってはいるのだ、けれど…と、なんとも焦れったい。
 是が非でも行きたいところなら、そんな、待ったなしなのだから。
 じつは、どうでもよかったりする、のだろうか。

 ぼくにとって「さっぽろ雪まつり」がそれ、だった。
 かみさんも「そぅなのよねぇ、わたしもょ」という。

 (焦れったいから、とにかくいっちょ片づけとこうぜ)
 そう思ってたところへ、ひょんなことからチャンスがめぐってきた、まぁ、人生そんなもんダ。

 はじまりは、中高生がこしらえた6つの雪像だったんですってね、「さっぽろ雪まつり」。
 それが1950(昭和25)年のことだそうだから、ぼくがまだ5歳のとき。
 (へぇ~、そんなに古くからあったんだぁ~)

 学生の頃、”北の大地”に目覚めてからの北海道がよい。
 しかし、かぎられた小遣いは夏の旅でスッカラカン、冬は来夏に備えてタクワエとガマンのとき、それもあったし。
 タイプとしてぼくは、「雪やこんこ」よろこんで転げまわるイヌではなしに、炬燵でまるくなる雪見酒ネコだった。

 そうする間に、「さっぽろ雪まつり」はボクの胸のなかにどんどん雪像のボリュームを増し、膨れ上がったいった、というわけ。
 ……………
 屋台の赤提灯で、熱燗を啜ってるぼく。
 隣りには気心の知れた女友だちがいて、「雪まつり行こうョ」と腕をひく。
 しかたなく席を立って人混みのなか、なにやらでかい雪像の前に立って見上げるぼくの目に、はらはら降りかかるぼたん雪
 じきに足もとからジンジン冷えてきて、「ちゃっぷいちゃっぷい」また赤提灯の暖簾をくぐる、ふたり。
 ……………
 それが、ぼくのイメージする「雪まつり」のすべてだったのだ、が。

 いま、はじめて見る大通公園の風景は、ぜんぜん違ってた。
 なんてのかなぁ、どこかとり澄ましちゃってて、スッと肩透かし喰らわされた感じ。
 熱くなれる火種がない。
 昨夕、ホテルをあれほど賑わしていた”春節”組、中国人観光客たちはいったいどこへ行ったのか。
 ふと、呼び戻してきたいような気分だった。

 根っからのお祭りずきは、なにしろサミシイのはゴメン。
 とまれ、テレビ塔を背に歩いてみる。
 
 午前中のまだ早い時間だったからだろうか、人通りはまぁまぁあるのだが、みなさんどこかソソクサしてる。
 雪像の前に立って、同行のだれかに記念写真を撮ってもらったり、自撮りをすませたりすると、もう居なくなっちまう。
 「ことしのは流石デキがいいねぇ」とかなんとか、盛り上げてくれるタニマチふうも居ない。

 この日は、2月9日、火曜日。
 ことしは5日(金)から11日(建国記念の日)までの雪まつり
 
 きっとスタートの週末は、グンと盛り上がっていたのだろう。
 なにしろ去年は約235万人もが訪れたという、「純白の夢よぶ世界のひろば」なのダ。
 (なかだるみ、ですかね)とぼくは呟く。

 うすい陽は射しても、雪道は凍え、吹く風は冷たい。
 朝っぱらから…であろうと、ここはちょいとイッパイひっかけたいところ、だけれど。
 赤提灯の屋台なんか、姿かたちもない。
 店らしきものはあるのだが、皆ちんまり控えめ、威勢のいい呼び声らしきものもない。
 熱くうだる夏ならいざ知らず、氷りついたようなプレハブの休憩所になんか入ってられるもんでもない。

 いきおい無口になっていくボク、てんで気勢があがらない。
 かみさんも、どこか、アテがハズレた風情。










◆小学生たちの団体見学にすくわれる

 「思ったより迫力がないよなぁ」と、ボク。
 「雪像ってより、雪壁の彫刻よねぇ」と、カミさん。

 そうなのだ、ぼくの胸にある「さっぽろ雪まつり」の」雪像は、もっとどでかい雪の塊。
 たとえば、青森「ねぶた」の造り物ぜんたいが雪でできてる感じの、圧倒的なボリューム感でなけりゃな。
 だってじっさい、かつて観た映像のなかの雪像、そのずっしりした迫力にぼくは胸が高鳴ったというのに…。

 そういえば。
 ぼくたちには札幌に、親戚もあれば友人知人もあるのだが。
 彼らのほとんどすべてが、雪まつりに「いまはねぇ…」ほとんど興味を示さない。
 爆買の中国人ばっかりみたいだしさ、と素っ気ないのだった。

 ひとつには、雪が少なくなったせい、かも知れない。
 どか~んと積み上げた雪の塊から雪像を創り上げ、競う、「雪まつり」のイメージいまはなく。
 櫓の骨組に張り付けた雪氷の、壁の彫刻。
 ”雪像”から”雪氷の彫像”へ。
 彫る技術は進んでいるのだろうが、それは、あまりにも冷たくとり澄まして、人手の匂いがしない。

 しかも、よく見ると、彫像に茶色いシミのようなのが目だつ。
 雨でもあったのかと思って尋ねたら、開会からこっち雨は降っていないとのことで、どうやら木立の枝から落ちる雫のいたずら、らしかった。
 そんな場合でも、以前はたしか、化粧直しの手入れ作業があったはずだけれど、いまはそれもない、のだろうか。

 ひとつには、人手がたりない、せいかも知れない。
 いまはどこでも、祭りの担い手の確保に苦労する時代。
 雪氷の彫像づくりに参加の企業団体を見ても、サービス系にかたよりが見られる。
 骨格基礎の雪氷構造体づくりは、いまも自衛隊の独擅場(素人には危険)だそうだが、いかにも義務っぽい印象いなめない。
 ”人手”や”手間”を実感させるものが乏しいからだろう、カッコつけすぎは却ってイヤミ、整いすぎちゃ愉しめない。

 この日は市内の小学校から、課外授業だろうか、いくつかの団体見学姿が見られて、それが救いになっていた。
 ときに、子どもの率直な感性と反応は、鋭く本質を抉る。
 立派な氷雪の壁彫刻には、一瞥くれるだけだった子どもたちが、「市民の広場」に並ぶ小規模な雪像群に歓声をあげた。
 身近な題材と、懸命な手づくりの痕、目線にも親しい近さ。
 引率の先生と生徒の間に、コミュニケーションと笑顔がはじめてこぼれて咲いた。

 「さっぽろ雪まつり」よ。
 67年か! ずいぶんつづいてきたわけで。
 これはやっぱり”なかだるみ”ってヤツでしょう。

 厳しい冬を楽しみにかえる。
 このイベントが、北国各地にあたえた発奮材料、その影響の大きさ、はかりしれない。
 それだけに、トップランナーの栄光とプライドにかけても、ここらで一度、原点に立ち返って見てほしい。
 北の国からのメッセージには、もっともっと、人に寄り添う”ぬくもり感”があってほしいと思うな。
 -北の大地を愛する者より-