どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「片づいて生きる」ことにスウィッチ・オンのことし/擂鉢と「ゆびさきトング」のこと

-No.0886-
★2016年02月24日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1812日
★ オリンピック東京まで → 1612日





◆「擂鉢」-、「ゆびさきトング」+

 ことし、わが家の課題は〈空き部屋をつくる〉こと。
 あらためて「片づいて生きる」ための、第1ハードルに位置づけた。

 いま現在のわが家、2階建てをざっと紹介すれば。
 1階が、ダイニング空間もとりこんだユーティリティー付きキッチンに、リビング、ワークルーム(仕事部屋、和室から改造)、これに玄関、洗面・浴室、トイレが付属する。
 2階が、客間の和室、寝室、衣装部屋、それにトイレ。
 さらに玄関上、1~2階吹き抜けの空間には、自作の「瞑想部屋」まで存在する。

 もとは4人住まいであったのが、両親が亡くなって夫婦二人だけになった、のだから。
 単純計算でも、2人分はけずれることになるが。

 生活という面倒は、そんなに簡単に割り切れるものではない。
 (ちなみに「めんどう(面倒は当て字)」というコトバ、辞書によれば原義は「見るのも無駄」だそうな…意味深長)

 が、しかし…。
 現代便利生活に蔓延する〈ものあまり〉現象は、無駄が多すぎるのも事実で。
 身体とおなじく、贅肉は削ぐほどに美しい。

 そういうわけで、まず〈部屋をひとつ空ける〉目標をたてたわけだが。
 現実には、一つ一つ、聖域化なしの、実行の積み重ね。
 
 少なくとも、一つ増えたら一つ減らす、+-0・ベース。
 つねに目指すは、-1のカット・ダウン。

 毎年1月、わが家の「どうする」会議で決まったこと。
 その成果は、着実に実行されつつあり。

 その一つが、擂鉢。
 ゴリゴリ胡麻擂り、のアレだ。
 
 わが家の焼物の擂鉢、父母の代から引き継がれてある。
 ぼくの記憶にのこる擂鉢、初代は、ガキんちょのぼくが押え役を手伝わされた頃から、どうも音がヘンだった。
 (あの頃は、もっぱら、イワシを擂り潰してのツミレづくりに使われたっけな)
 擂粉木があたると、掠れたような音がするのだ。

 きっと目には見えないどこかが、ひび割れているのにチガイなく。
 いずれパカッと真っ二つ、の事態を想い描いていたボクだったが、ついにそうはならずに耐え抜き。
 擂り目の方が磨滅しかけるにおよんで、やや小さめの二代目にかわった。
 けれども正直すでに、なかなか出番がない。

 擂り下ろす料理には、別に「おろし金」があり。
 手間がかからない電動器具の進出もあって、哀れ〈場所ふさぎ〉の身分に転落して、久しく長い。

「どうする」
「もう、いいかな」
 かみさんと相談まとまって(ご苦労さま)、おひきとり願うことに決まったのだったが。
 相棒の擂粉木(由緒ただしき山椒の木製)の方は、まだ用途ありということで〈片割れ〉、のこされ。

 おまけに。
 替りのモノが一つ来宅して、(-1のはずが)+-0に戻ってしまい。
 それは「ゆびさきトング」。
 〈来宅〉というのは〈購入〉ではなく〈貰い物〉の意だけれど。

 (これからさき爺婆テーブル向きと思われて)前から欲しかったモノでもあり。
 使ってみれば、(調理用の長いトングとは別物、大はけっして小を兼ねない)なるほどスグレものでもあって。
 逆さにして置けばテーブルを汚すこともない、さすが洋食器・刃物の新潟三条産であった。

 …とはいえ、-1のカット・ダウンにならなかった事実はオモイ。
 つくづく、減量のムズカシさにタメイキ大きなボク、というわけだが。

 なんの。
 この後始末、オトシマエはきっちり、かならずほかのナニかで〈片をつけよう〉覚悟でいる。