どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

要らないんじゃないか④…手指乾燥機

-No.0883-
★2016年02月21日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1809日
★ オリンピック東京まで → 1615日




◆”亡者”が生き返ったか…

 2013年の春、《11.3.11》から丸2年がすぎ、3年目を迎える頃からだった。
 ぼちぼち、様子見に顔を覗かせ始めたのが、これといった批判もないままに。

 翌年には(ソロソロよさそうですかね)の情勢と看てとって。
 今年はもう早や、幽霊が真昼間に大手を振って闊歩してやがる!

 ナニがって。 
 トイレで用足し、手洗いの後、シューッとばかりに乾かす電化製品のことダ。
 「手洗い乾燥機」とでもいうのかと思っていたら、どうやら「手指乾燥機」と称するらしいが。

 彼のモノが登場したのは、いつであったか。
 デパートやホテルのトイレで、お初に遭遇したときにはナンジャ、コレ。
 入念に手を洗うふりして、他人が試すのを盗み見ていた。

 そうして、みずからも体験してから。
 (また、はじまったな、ニッポン人のお節介好きが)と思い。
 ぼくは、そのうち廃れるだろうとタカをくくっていたのだが…。

 とんでもない。
 いつのまにやら、いまや、公共のトイレにあってアタリマエの存在。
 当初は、もの珍しさに戸惑う声にまじって、「もったいない」「資源の無駄づかい」といった良識派の声が一部からは上がったけれど。

 「便利でありがたい」「ハンカチを忘れたときに助かる」などといった声に、いつのまにかかき消され。

 それが《11.3.11》フクシマ原発事故があって、電力をはじめさまざまな方面に国民の”省エネ”意識が広がりを見せるなか。
 「手指乾燥機」も”自粛”になったのだったが。
 ついに「このさい撤去、ヤメにしましょう」とはならず。

 《11.3.11》からの時の流れ、〈風化〉とともに復活の日を迎えてしまった。
 「手指乾燥機」の電力消費量は500~650Wだそうだから、小型の、性能のよい暖房電気器具とほぼ同じくらい。
 「ペーパータオル」(これもイラナイ)と同罪の、資源浪費だ。

 「温水洗浄・暖房便座」というのがある。
 じつは、ぼく、これなんかも(要らないか)と思っていた時期があるのだけれど。
 冬の北国の公共トイレで、うっかり無意識に腰かけてしまった便器の冷たさに、ほとんど心臓が止まりかけたほど。
 (じつは…便器にしゃがみこむ和式タイプならこの心配なし、なのだが、やっぱり腰かけ洋式タイプの使いごごちと、身体へのやさしさにはかなわない)
 この経験から、「温水洗浄・暖房便座」は保健衛生的に、トイレの暖房ともども必要なものと、いまは認めている。

 されども、しかし…。
 「手指乾燥機」には、そうした保健衛生的な必需も認められなければ、特段のスグレモノでもない。
 「こんなのが、あってもいいんじゃございませんか」程度のごますりモノにすぎない。
 
 ぼくも、アレコレ経験。
 トイレでいざハンカチを取り出すタイミングの良し悪しや、ハンカチそのものを忘れて始末におえなかったときのことなど。
 考えあわせた末に、思い極めて、いま言っている。

 「手指乾燥機」は、要らない。
 こういう、庶民の意識ひとつでどうにでもなる社会的なことを、いい加減にしてはイケナイ、政治と同レベルくらいに大切なことだと、ぼくは思っている。

 前に。
 宿で用意する「歯ブラシ」、要らないモノが生きのこってしまった話しをしたことがあった。
 あの実質たいしたモノでもないのに習慣に流され、ついに廃止のチャンスを失ったことが、ひいてはニッポンの旅行者事情をレベルアップさせなかったことなど、想いださせる。

 要らないんだけど、あれば使っちゃう。
 じつは、それがいちばんイケナイんだよ…ね。
 (ぼくも、あらためて自戒モードの日々)