どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

天皇の・皇后の戦後〈慰霊〉の巡礼に想う/    (こころせかれる)鼓動ひしひし

-No.0862-
★2016年01月31日(日曜日)
★《3.11》フクシマから → 1788日
★ オリンピック東京まで → 1636日




◆時代の大きな転換期を前に

 招かれてのフィリピン訪問から、天皇・皇后両陛下が帰国。
 《戦後71》の年も戦跡慰霊、巡礼の旅がつづく。

 おふたりの誠実に、いつもとかわりはない、のだけれど。
 このたびはとくに、(ご無事に…)の感がふかい。

 けじめることの難しい《戦後》に、ひとかたならぬ想いを寄せられる両陛下の足跡。
 昨年のパラオへの慰霊訪問あたりから。
 〈心せかれる〉ものが、あふれ、にじむ、かのようだ。

 〈おこない〉だけでなく、〈おことば〉の端々にまで。
 〈朕〔われ〕あるうちは戦禍を忘れさせず〉の決意、かたい。

 想えば、安倍首相の「戦後レジームからの脱却」発言からこのかた。
 天皇の言動は、あくまでも慎重に、ものやわらかでありながら、歴史への冒瀆をゆるさない態度に、揺るぎはなかった。
 〈ききわけのない子のいたずら描きを丹念に拭う〉人でありつづけた。

 お立場みごと、というべきか。

 政治的実権なしの象徴天皇制、その美点を認める空気は、むしろ国外につよいようだ。
 国内の政治家の多くは、その言動いちいちをみるまでもなく、〈象徴天皇への敬意〉より、うっかりすると〈象徴にすぎない〉思い上がりに、憐れ、うつつをぬかしている。

 その、あまりに明らかに透けて見える愚かさに、天皇・皇后はたがいに手をたずさえ、ひと手ひと手、警鐘の虎落〔もがり〕を結っておられるように思える。

 この天皇・皇后の時代がおえたとき、日本はおおきな転換のときを迎えそうな気がしている。
 まちがいなく、それは。
 人々がこのまま、個々にかまけてばかりいれば、とんでもないことになりかねない気配…といっていい。