どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ナニがきっかけになるか知れない…生き方の見なおし/その壱-年越しの買い出し

-No.0838-
★2016年01月07日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1764日
★ オリンピック東京まで → 1660日













◆25日まで、で仕舞いにする

 来年のことを言うと鬼が嗤う、という。
 年越し早々に去年のことを言ったら、鬼が口惜しがって哭〔な〕くだろうか。
 なんで、そんな、みっともないマネしやがるんじゃー…と。

 でも、この年の暮れは、生き方を見なおす充分なきっかけがあった。

 晩秋にあった義兄の死のことは、すでに触れたが。
 その後、年末にかけてあったアレコレのことに、ボクたちの心情は揺れた。

 相続の問題がのこされた。
 絶縁状態にあった娘の所在がようやく知れたが、先だってすでに(3年も前に)亡くなっていた。
 のこされた長男とようやく連絡がとれ、年明けにはその去就があきらかになるであろう、見とおしがたったけれど。
 それだけでは片づかないことも、さまざまのこされることが知れた。

 人の世、無常…。
 生き方スウィッチが切り替わった。
 足掻くのは、やめにしよう。

 それは後に、さまざまな場面の現実に、わが脳に胸に、ピッと注意信号を発することになったのだけれど。
 暮らしのシーンでは、年越しの騒ぎが、とてもバカバカしくなって、や~めた。
 (もちろん、ここ一年は喪中になるのだが、金輪際を肝に銘じてヤ~メタ)

 例年、クリスマスがすむと始まっていた年末の支度。
 人混みにもまれ、高値と品薄になった品物を買いもとめて走る愚と、きっぱりオサラバ。
 25日のクリスマスまでに、暮れの買い物はすませることにした。

 その24日、クリスマス・イブの日。
 畑と海の幸の仕込みに、三浦半島へ出かけた。
 暮れの訪客への対応もふくめて。

 渋滞する国道16号を耐えて抜け、横横(横浜横須賀)道路、三浦縦貫道路。
 三崎を目指す国道134号(半島周回道)に出て、長井の「すかなごっそ」(JAよこすか葉山)へ。
 ここで新年5日くらいまでの生鮮野菜を確保。
 
 つづいて、いつものコースで三浦市の鈴木水産鮮魚部へ。
 ここでは、わが家の冷凍庫に空きのあるぶんだけ、魚好きぶんだけの鮮魚を調達。
 年末商戦でイヤでも高値になる、刺身マグロのたぐいはなにも、この時期を外して喰えばいいのダ。
 正月で人生おわるわけじゃなし。
 そう気がつけば、品物選びにも余裕が生まれ、満足度もまた高いのだった。

 その後は三浦海岸に下って、前から気になっていたお店、二軒。
 京急津久井浜駅に近い、溶岩窯パン工房の「ブロードバウム」と。
 もう一軒は、久里浜ハイランドのパン屋「ザクロ」。
 どちらでも、このクリスマス時季の定番「シュトーレン」を購入。

 しめくくりは、これもいつもどおりの京急観音崎ホテルの入浴施設「スパッソ」に体を温め癒して、午後早めに帰宅。
 翌25日、町田駅周辺へ補充の買い出しで、すっぱり一年の用足しをしめくくった。

◆26日は、忘年の宴会

 来客は、カミさんの気のおけない友だち、お二人さま。
 これも年末の定番。

 前日から仕込んでおいた三浦大根が主役の「おでん」をメインに。
 本マグロの漬け、タイの昆布〆、エビチリなどで乾杯。
 調理担当はボク、これも定番。

 テーブルを賑やかにしてくれたのは、「ブロードバウム」と「ザクロ」、三浦半島の2軒のパン屋さんの「シュトーレン」。
 クリスマスのパーティーに振る舞われる、このドイツのイースト菓子は、ナッツやドライフルーツたっぷり。
 ぼくは、昨年の冬、この味に目覚めてしまっていた。

 目覚めさせてくれたのは、わが家の近くにある自家製パン屋さん。
 ドイツの田舎町の、家庭レシピを忠実に再現された感があって、それがとっても佳くて。
 その後、ホテル・オータニの都会派「シュトーレン」に出逢って、そのバラエティーゆたかさに感心した、というわけだった。

 ことし、三浦半島で買い求めてきた「シュトーレン」からは、ミナト横須賀のエキゾチック・ムードがほのかに薫った。
 「ブロードバウム」の「シュトーレン」が素朴なパンの味わいなら、いっぽう、「ザクロ」のそれはスウィーツへの傾注を深めた味わい。
 それぞれに夢があって…。

 考えてみるとボク、パンには間食「おやつ」の認識が、子どもの頃から定着してたみたいで。
 チョコレートパン、クリームパン、メロンパンにアンパンと、好きなのは菓子パンばかり。
 長じてもこの嗜好はそのままかわらず、いっときは「カレンズ」という、干しブドウがギッシリ隙間もないほどに詰まって重いパンに、惚れ込んだというか、入れ上げたものだった。
 いまだに、ふつのパンより、なにかしら包みこまれたか、練りこまれたパンを口が欲しがる。

 ともあれ…。
 この、なんともサッパリと心あらわれる小宴会をもって、1年をおえた2015。
 なにも騒ぐことはないんだ、これでいいんだよネ。
 (…で、ありましたっけ)。