どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

2015年、戦後70年が暮れてゆく…/     《11.3.11》から、早や5年になる来春を遠く想う

-No.0830-
★2015年12月30日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1756日
★ オリンピック東京まで → 1668日





◆《戦後70年》のことし

 行動が忙しくなるだろうことは、昨年末ころから分かっていた。
 心がまえもし、のりきれる自信もあったのダ、が。

 3月オキナワ。
 4月ナガサキ
 6月ヒロシマ
 《戦後70》の巡礼をつづけるうちに、行動モードの切り替わり方に、変化を感じるようになっていた。

 意識すれば、〝スロー〟なモードへのシフト・チェンジが、スムースになってきた。
 これは、ずっと基本〝てきぱき〟モードで生きてきたボクには、かなりショッキングなことだった。

 意識して天空を〝ひきよせる〟、そんな感覚がつかめるようになってきた。
 これまでは、空は眺めるもの、だったボクが。
 海とおなじく、〝ひきよせ〟て浸れるものになってきた。

 そのぶん、疲れも早く、心地よいものになってきた。

 そうして沖縄、長崎、広島と巡るうちに。
 いつのまにか、意識しないでも〝スロー〟なモードにギアが入るようになった。
 これは、ボクに革命的なことだった。

 これには、もちろん不安もあり、反抗したい気分も手伝って。
 夏が近づく頃には、まわりに迷惑をかけたこともワカッテいる。
 
 《11.3.11》から4年目、かぞえて15回目の被災地巡礼にも、シフト・チェンジのときがきていた。
 (復興の最後まで見守る気もちの変わりはない)が、気分までおなじではイケナイ。
 それは、被災した側にも、支援に訪れる側にも、いえる。

 こんどの巡礼は、どんなふうにシフトを替えていったらいいのかを、探る旅路でもあった。
 宮城・岩手が、遅ればせながらようやく、暮らしぶりに〝ふだん〟の感覚がもどってきたのはウレシかったけれど、いっぽう、とりのこされた福島のオクレに胸が痛んだ。

 〝フクシマ原発事故は、収束がたしかめられることもなしに、廃炉の道の手探りがつづく。
 その、大々メイワク、極々ヒンシュクのほどを、政府も東電もけっして、セイジツに胸に染ませることはない。
 やりきれなさは、その一点につきる。

 北海道の伊達市へ。
 〝移住生産〟に誘われた宮城県亘理町イチゴ農家の方たち。
 彼らにも、その後の、小さからぬ変化が、兆してきている。

 《巡礼》の中継地にさせてもらい。
 同時に、そのおかげで、これまでより親身に通えるようにもなったカミさんの実家。
 ひとり暮らしになった兄の、人生にもとうぜんの変化が、足音を早め。

 8月の巡礼のあと、またすぐ9月に、カミさんは北海道へ、津軽海峡を渡って行くことになり。
 老後・養生の準備に入る算段のつもりが、不意に不測の事態となって、ぼくもカミさんの後を追って海峡を渡り。
 ついに、看護から葬儀までのいっさいが、加速度的に渦巻いてすぎた。

 ふつうに時が移れば、ぼくらはこの冬、雪の季節がはじまる前の一時期を、道東、上士幌町の移住体験ハウスに暮らしてみるはずだったのだが。
 それも、不意に不測の、足音はやめて来たトウゼンの変化の前に、もろくも泡沫〔うたかた〕の夢ときえた。

 そうして、一気に、年末まで。
 懸命の後始末と、わが身への備えに。
 もじどおりの奔走でおえた…。

 12月31日と、1月1日と。
 大晦日と元日の一日に、ふだんとかわりがあるわけじゃなし。

 それでも、かわりたい気もち、念願があるかぎり、やっぱりチガウ。
 ボクは、カミさんに声をかける。
 「ちがっていこうな」