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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

山岳映画3本をまとめて鑑賞…そして想う/    極限の高峰世界は〝吾ひとり〟挑むことが許さる

気象・環境・自然・動植物

-No.0803-
★2015年12月03日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1729日
★ オリンピック東京まで → 1695日



 ケーブルテレビ(CATV)WOWOWで、ひさしぶりに山岳映画3本をまとめて観た。
 人が山に挑む(なかでも極限の高峰)ことは、その懐を”吾ひとりのもの”にすることだと、最終認識した気がする。

◆『ヒマラヤ 運命の山』(原題は『ナンガ・パルバット』、2010年・ドイツ)

 ラインホルト・メスナーという、傑出した登山家がいる(ぼくの1つ年上で、存命)。
 彼こそ「伝説の人」といっていい。
 そして”山は究極、単独行にあり”と、その真実を告げ知らせてくれた男。

 彼は、1970年のナンガ・パルバット、ルパール壁からの初登攀に成功から。
 1986年のマカルー、ローツェまで、17年をかけてヒマラヤ8000m峰全14座の完全登頂に、すべて無酸素で成功している。
 (なお、ナンガ・パルバット8125mの初登頂は1953年オーストリア人のヘルマン・ブール、これも単独行、彼も伝説のアルピニスト

 そのナンガ・パルバット
 「人喰い山」と怖れられ、「ドイツ隊、宿命の山」とも呼ばれた。
 ルパール壁からの初登攀の目指す遠征隊に、ラインホルトは弟のギュンターとともに参加。
 (登山)隊の団結力での征服に固執する隊長に対して、ラインホルトは「難関はそれを望んでいない、突破できるのは個の力だ」という趣旨の主張をして、けむたがられる。

 さまざまあって、結局、頂上はラインホルトの単独アタックになった…が、弟のギュンターがみずからの役割をなげうち独断で兄の後を追う。
 そうして2人で初登攀に成功するのだが、ザイルもそのほかの装備も単独行の準備しかなかったために、下山になって艱難に襲われ、瀕死のラインホルトは、ついに弟を見失い、じぶんだけがなんとか命をひろうことになった…。

 弟の死の責任を問われることになった彼だが…。
 ラインホルトは弟の遺体捜索のため、その後ナンガへ10回も行き、いっぽう、自身の信念にしたがって山行をつづけ、かずかずの行跡をのこしてきた。
 2005年、弟の遺体がラインホルトの言を裏付けるかたちで発見されたことで、彼にかけられた疑念はようやく晴れる日がきた…。

 ぼくに、アルピニストを語る資格はない、かも知れないが。
 いちおうは、かつて山靴を履き、単独行もし、小パーティーで台風下の尾根で、烈風に襲われあわや遭難かという経験もあるボクは、ボクなりに山と人との葛藤を考え抜いたこともあって、だから、メスナーの想いが痛くつうじる。

 山は究極”吾ひとり”、単独行にのみ(生と死とにかかわらず)その懐に入ることが許される(と想っている)。

◆『K2 初登頂の真実』(2012年、イタリア)

 これもヒマラヤ。
 世界の高峰征服、その栄誉は、パーティー(登山隊)のものか、個人のものか。
 個人は、その栄誉のためにナニを為し、またナニを為されるか…の、重いテーマを追う。

 まず、K2(8611m)について。
 エベレスト(チョモ・ルンマ、8848m)に次ぐ世界第二のこの高峰の名が、単なる”測量記号”にすぎなかった(カラコルムで2番目に測量された山)ことを詫びて、現地語の「チョゴリ(大いなる山)」に敬意を表しておきたい。

 この山は、敗戦に沈む民心を鼓舞するねらいから、妥協を許さない地質学者デジオ隊長が国内の山岳家に声をかけ、選りすぐった精鋭によるイタリア隊が1954年に初登頂をなし遂げた。
 登頂の栄誉は、アキッレ・コンパニョーニとリーノ・ラチェデッリの二人。
 …が、「登頂は隊全体の名誉」とするイタリアは、長くその名を公表せず。
 いっぽう、その陰で繰り広げられたクライマーたちの思惑の交錯、個性と嫉妬と不信と、信じがたいほどの齟齬や登山記録の歪曲、だれもが頂上は彼のものと疑わなかったヴァルテル・ボナッティの、結果的には裏切られた誇りなど…。

 結局、裁判の末にようやく登頂にまつわる事実が認められ、ボナッティの名誉回復が成ったのは54年後のことだった。

「山をやる男に、わるいやつはいない」
 いま、そんな時代ではすでにないけれども。

「なぜ山に登るのか」
「そこに山があるからだ」
 この問答の根底には、ずっと、山男たちの(オレの…オレだけの…)どうにも抑えられない渇望が潜んでいることを、ずばり指摘する人は少なかった。
 率直に言いきってはいまえないものがあった、ある意味ではそれほど純粋な世界でもあったからだ、けれども、しかし…。
 

◆『アンナプルナ南壁 7,400mの男たち』(2012年、スペイン)

 これは、前2作品とはうってかわって、山男たちの”命へのふかい愛着”の物語。

 「悲情の山」「キラー・マウンテン(死の山)」と呼ばれる世界10位のアンナプルナ8078m。
 この山の頂上にむかう途上、7,400mの高所で一人のベテラン登山家が突然の高山病に襲われ、命の危機に。
 この報に接した世界10ヶ国の登山家が集結し、あらゆる手だてを尽くして救出をこころみる。が…

 この記録映画は、集結した登山家たちの証言によって、物語が紡ぎだされる。
「山は成功のすぐ隣りに死がある」
「命の救出に躊躇する者はない」
「あたりまえのことだ、だれでもそうするだろう」

 そうしてこの事実には、登山界のアカデミー賞といわれるピオレドール賞”登山家の精神賞”が与えられている。
 ときに人は、できすぎるくらいにできるものだ…といったら言いすぎだろうか。
 けれど…。
 「命を賭して救出活動に従事した登山家への勇気を称える」賞は、2006年の創設以来、このアンナプルナ南壁の救出活動にしか与えられていない、これもまた事実だった。

          ☆          ☆          ☆
 
 ぼくは、思う。
 単独行が偉いのではない、傑出した力量のひとりでしか成しえず、ひとりにしか許されないのが、厳父の懐というものだからだ。
 山岳記録映画は、映像表現がもっとも純粋に美しく結実する世界と、ぼくが気づいたのも、その薄情にすぎるくらいの空気であった。