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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ママコノシリヌグイ…名付け親の心の闇が覗けた気分/むかしの植物命名諸氏はどうも穏当でないような

-No.0777-
★2015年11月07日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1703日
      高倉健没から →  362日
★ オリンピック東京まで → 1721日




 

◆それをいっちゃぁオシマイ

 三角形に先の尖った葉っぱがなにやらゾクっと刺激的で、その葉の付け根あたりから伸びて咲く花がまた…意想外に遠慮がちだったりもするので、ついと手を出してみたくなる野の蔓草。
 ところがどっこい、ザラっと不快な葉っぱの触感からしてイヤらしいうえに、茎の、俄然…底意地わるくできた棘がチクっと指を刺すのダ。
 それこそゾクゾクと皮膚が怖気をふるうのダ。

 図鑑をめくっていて、その蔓草の名「ママコノシリヌグイ」と識ったとき、ボクの指から子ども心の方へと、鋭い棘がグサリと刺さり替わって、またゾクリとなりましたっけ。
 (なんというヒドイ仕打ちか)と、ふと命名者の心の闇を覗き見た思いがしました。

 それはなにも人名・地名にかぎらず、いったいにものごとの”名前”というのが、識別のためとはいいながら、必要以上に恣意的だったり闇雲にすぎたり、ヤヤコシすぎるのだけれど。

 たとえばナマケモノという名の動物、フンコロガシという名の昆虫、ウッカリカサゴという名の魚、バカガイという名の貝、などなど(その他にわかには思いだせないかずかずの事例)…。
 いずれにしても、人が人以外の存在に注目するときには殊にも、率直すぎるくらい生々しい名を付けるクセがありました、昔から。

 してみると名付けというのは、発見者にとっての愉しみでもあったろうか。
 でも、まず大概は…。
 自然のもつ意外性への驚き、多様性への正直な感想であり、そこにはイタズラっぽい表現もまじえながら、おおむね「笑っちゃう」範疇のものかと思われていたのに。

 ママコノシリヌグイには、そんな限度も際限もなかった。
 悪意。嫌悪。理不尽なまでの邪魔者あつかい。
 「継子の尻を拭うのに、(ヒヒヒ…)よさそうな葉っぱ」という解釈が、ふつうにはなされる、が。
 ちなみに、韓国語での名は「嫁の尻拭き草」だという、けれど。
 じつは、そうではないのかもしれない。
 「継子のせいで負わされた迷惑、その尻拭いをさせられる継親の嫌悪感」を言っているかも。

 いずれにしても、〈継子いじめ〉とか〈嫁いびり〉とか、いまは遠い昔の〈因習〉の臭いも、強烈。
 こんな理不尽きわまりない「ママコノシリヌグイ」に改名のことがあこれば、ぼくは諸手をあげて賛成したい。

 ママコノシリヌグイは、タデ科の1年草。
 四稜があって(角柱のような格好の)茎に、逆向きの鋭い棘が並ぶ蔓草。

 蔓草には、変わりものが多くて、ヘクソカズラ(屁糞葛)なんかもその仲間(ただし、こちらはアカネ科の多年草)。
 茎を折ったり葉を摘んだりすると、その名のとおりの嫌な臭いを撒き散らす。
 家の近所の荒れ庭などにも、ふつうに見られる。
 これなんかもかなりキツイ、遠慮会釈もない表現であって、こうしてみると昔の植物命名の方々は直截というか、他人の思惑などトンと気にかけない向きが多かったのではないか、と思えてくる。

 蔓草で繁殖力もつよいママコノシリヌグイは、藪にもなりやすい。
 〈藪〉で思いだすのは、〈蕎麦屋〉か〈ヤブカラシ〉。
 ブドウ科のヤブカラシは、「藪も枯らしてしまう」ほどに繁茂する邪魔っ気な厄介者の意。
 別名を、ビンボウカズラ(貧乏葛)。
 この蔓草に絡みつかれると「家が潰れそうなほど貧相に見えるから」と言われるが、そういう荒れ家・廃屋を、ぼくもたしかに、ずいぶん目にしてきた覚えがある。
 山道に迷った藪漕ぎで、この草になんども足をとられた経験もある。ほんとにコンチクショウメな奴。

 山本周五郎の短編小説に『やぶからし』というのがあった。
 どういうわけか不運にも、厄介な立場に生まれ育つうちに、いつかずるずると厄介者に落ちていってしまう男の哀しい話。
 それを脇からそっ見守る女性の、同情と憐憫の目で描かれていた。

 それにしても…とボクはやっぱり思い返す。
 「ママコノシリヌグイ」はない、よなぁ。
 それをいっちゃぁオシマイ…でしょうに。

*写真、上段はママコノシリヌグイ、下段はヤブカラシ(ヤブガラシ)、いずれもフリー百科事典ウィキペディアから借用*