どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

大玉村…マチュピチュから友好都市に望まれた村/ とてもいい噺…100年も前の功労者の出身地

-No.0774-
★2015年11月04日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1700日
      高倉健没から →  359日
★ オリンピック東京まで → 1724日

福島第一原発事故から1700日が経った*





安達太良山の山麓

 とてもいい噺があった。
 大玉村という山村が、福島県にある。
 といっても、その土地柄に関心のある人か、近在の方でもなければ、知る人は少ないにちがいない。

 大きな地方都市でいえば、郡山市二本松市との間。
 東北自動車道だと安達太良サービスエリアがあり、東北本線なら本宮駅が最寄り、といえばまぁ最寄り。
 北西に日本100名山のひとつ安達太良山を望む山麓にあって、東端を阿武隈川が流れる。
 ほとんど高村光太郎智恵子抄』の世界。

 人口密度106人/㎢、村の木は松、村の花は桜、村の鳥は雉。
 オープンデータで見る地域特性サイト「EvaCva」によれば、全国総合ランキングで1742市区町村の959位。
 まぁ、これといって特筆するほどのこともない、ごくふつうにある村のひとつ。

 山麓から少し登ったところに「フォレストパークあだたら」と称する県民の森があり、ここのオートキャンプ場はぼくもお気に入り。
 山腹道路を北に少し行くと、二本松市になるが熱い山の湯、岳〔だけ〕温泉がある。
 「日本で最も美しい村連合」に加盟(同県の飯舘村もかつての仲間)している…。

 そんな、ありふれた東北の山村がこの10月26日に、あの超有名な南米アンデス山麓のインカ帝国遺跡、世界遺産「空中都市」のマチュピチュ村(ペルー)から、初の「友好都市」相手に望まれて協定を結んだという。
 
 そのもとになったのが、野内与吉という人。
 かつて〈移民〉として彼の地のわたり、いまから100年も前に初代村長になって発展につくした。
 マチュピチュというと、まず”神殿”がイメージされるけれど、「空中都市」首都クスコの生活文化をささえるインフラ整備にも、世界が目を瞠らされるものがあった。
 そのインフラ整備の推進にも、野内村長は功績が大きかったという。

 その先輩村長の遺した事績の謝恩に、現在のマチュピチュ村長が、野内与吉のふるさと大玉村を「初の友好都市」相手に望んだという。
 (野内与吉さん、本人は昭和44年に74歳で亡くなっているが、息子さんたち家族がいまも現地で活躍している)
 「友好都市」の話しはいろいろあるけれど、これほどピュアなケースは稀…ではないか。

 マチュピチュ村の標高2430m(当時の首都クスコは3400m)、安達太良山の標高1699.6m。
 大玉村の人口8440人、マチュピチュの人口2500人(インカ帝国時代は最大でも750名ほどだったといわれる)。
 わずらわしい〈雑念〉遠く、「ほんとうの空」高く、とてもいい噺に、気分がよかった。

 (大玉村は、ふるさと納税制度も導入してますヨ!)