どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

光が丘公園にススキの原っぱを訪ねてみたけれど…/       イチョウの葉もまだやっと色づき始めたばかり

-No.0771-
★2015年11月01日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1697日
      高倉健没から →  356日
★ オリンピック東京まで → 1727日








◆なぜススキなのか

 花札が好きで、なかでも「芒に月」の札のデザインが気に入っている。
 花札で芒は8月(ぼくの生まれ月でもある)、旧暦で秋の候。

 好き嫌いには、自分でもワケのわからないことがあるものだけれど、ススキを好むようになったことなども、そのひとつだ。
 ひとかたまりのススキの穂波が秋の陽に透けるように光りながら風に揺れている、その一本を折り採ろうとした小さなボクの指が、イネ科の細長い葉の鋭い鉤にピッと切り裂かれて血を滲ませたのが、たぶん最初の出逢い、一段目だったと想う。

 のちに茅葺の屋根に惚れ、茅(萱)は芒のことだと知らされて目の覚めるような気分だったことが、二段目。
 それだけで茅場町というところが、なんのゆかりもないのに懐かしく感じられたりもしたっけ。
 芒を「尾花」ともいうのが、また好きで、それは馬の尻尾から優しい目へと連想の波紋を広げてくれる。
 そうして三段目、いきつくところは〈月見に芒に団子〉の情景…これで決まりなのだが。

 じゃあ、ナゼそうなったのかは、説明がつかない。
 ススキの原っぱは、草原の植生としては晩期にあたるという、あとには樹木化、林や森への道がつづく、それもまたいい。

 枯れ芒でなくても枯れたあじわいのススキ。
 お祭り好きなボクがじつは、とても〈寂しんぼ〉なのと通じるものが、芒にはあるからだろうか…。

◆どうして光が丘公園か

 そのススキの季節がやって来て、光が丘公園が頭に泛んだ。
 「ススキ」といえば「原っぱ」であり、「泣けてくるくらいだだっ広い」のが似合う。
 なのに、なぜ都区内練馬の公園かというと、去年、どこぞの新聞の首都圏版に「ススキの穂波ひかる」光が丘公園の記事を見た覚えがあったからだった。
 それに練馬区といたって、光が丘はかぎりなく「だって埼玉」に近い郊外、箱根ほどではないにしろ原っぱムード漂うではないか。

 都営地下鉄大江戸線、終点の光が丘駅に降りると、大きな集合住宅団地のなかを広いプロムナードのイチョウ並木が公園へとつづいている。
 この大団地には、たしか知り合いが二人ほど住んでいるはずだったけれど、まだ訪ねたこともないし、訪ね歩くことさえ困難に思えるデカさだった。

 さて…。
 ススキの原っぱはバードサンクチュアリの向かい側あたりと聞いていたのだが、土饅頭みたいにちんまりした丘に、やっと小さな穂波が見られるばかり、とてもとても、ススキの原っぱと呼べるほどのものではなかった。
 もしやほかにあるのか、と思って尋ねてみたけれど、ざんねんながら見あたらない、散歩やジョギングやそのほかの人影は多いのに、関心を示す人も少ない。
 ここは郊外とはいえ、やっぱり都会地だった。

 「すすきっぽ」なんぞ…いまは、そんな時代ということだろう。
 野分に枯れ芒(枯れ尾花)の風情なんかも、もはやいまどき流行らんのだろう。

 ススキの原っぱの醍醐味は、どうやら他所に求めたほうがよさそうだった。

◆イチョウに心がわり…男心と秋の空

 (そうだ、イチョウがあったなぁ)
 ぼくは、むかし別れた恋人でも懐かしく想いだす風情で、ふっと気がついた。
 光が丘公園も、駅前からのプロムナードにつづいて、みごとなイチョウ並木であった。

 そのイチョウが、穏やかな輻射熱のごとき陽を浴びて、呼びかけてきた。
 (わたしのこと、想いだしてくれたのね…ふふ…ありがと)
 いたずらっぽく、むこうへと高く翔けていきながら。

 イチョウ並木の、まだその多くが葉の緑の艶やかさを誇示するなかに、わずかに黄ばんできたひと群れの葉が耀き、ステキに透けて見えた。
 ぼくは、映画の場面でよくお目にかかる情景のごとく、しばらく佇んで黄緑に染まった梢を見上げていた。

 「神宮の、いちょう並木、まだかしらね」
 そういえば今朝、カミさんが言っていたっけ。

 ぼくは帰途、外苑前の、いちょう並木通りを覗いて見た。
 こちらはまだ緑葉の世界で、黄葉になるのは11月…文化の日をすぎた頃からだろうかと、思われた。