どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2015夏の巡礼㉛-さんふらわあ ふらの/苫小牧→大洗航路、夕方便で帰途につく

-No.0762-
★2015年10月23日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1688日
      高倉健没から →  347日
★ オリンピック東京まで → 1736日


◆ひと月前の火災事故

 8月29日。
 まだ夏の暑気がのこる苫小牧の街。

 スーパーマーケットで今夜と明日朝の食料を買いこみ、フェリ-・ーターミナルへ。
 これも、いつものとおり。
 そのために、船室は個室を確保してある。

 夕刻18:45苫小牧港発-翌日14:00大洗入港、商船三井フェリーの「夕方便」。
 船は「さんふらわあ ふらの」、13,539トン、全長192メートル。
 これで行けば、金華山沖あたりで朝を迎えて半日あまり海景を愉しみ、その日の夜にはわが家に帰着できる。

 ……………

 想えばこの夏の巡礼も、あれやこれや感慨ふかいことだった。
 いま乗っている便の乗船予約をすませてまもなく、あの火災事故があった。

 7月31日夕、苫小牧沖南方50キロ余りで車両甲板から出火。
 船は「さんふらわあ だいせつ」、11,401トン、全長190メートル。
 この「ふらの」の僚船(ひとまわり小型)だから、火災があればどうなるか…はおおよそ判る。

 この船舶火災には、幸運とツキがあった。
 苫小牧港に近かったこと、乗客が少なかったこと、その乗客のなかに消防救助隊のグループがあったこと。
 それで、避難救助がすみやかに行われ、乗客71名は全員無事に、夜には苫小牧港に上陸できた。

 韓国の「セウォル号」事故を想って、戦慄した人も少なくなかった。
 実際、韓国の乗客があって、その方はとうぜんのように一度は「死を覚悟」し、無事救助されたのち日本の「すばらしい事故対応の沈着・冷静・迅速に助けられた」と深謝していたことが、いまも記憶にのこる。

 また、乗員で唯一の犠牲者となった二等航海士さんの、自身も船員だったという父親のコメント「乗客の安全第一に働いてくれたことを誇りに思う」に、ひさいぶりに日本人らしい心根の発露をみた思いがあった…。

 ……………

 それから一月後の船に、ぼくは乗っている。
 そうして、暗い夜の闇に沈む三陸海岸田野畑村の漁師「きんちゃん」の語った言葉が、脳裡をよぎる。
「宮城の漁師たちで、このところ岩手のほうにやってくる人が多い、あっちの知事は漁に理解がないから」
「PTSD(心的外傷後ストレス)は、じぶんにもあるけど、心がかかえこむ問題の深刻なことは、外見からじゃわからない、離婚が多いのはたしかだし、ほかにどんな現実があるのかも、わからない」
「田野畑の生活再建が早かったのは、村長がね、地権者の承諾の要らない山の土地を開いて移転の宅地を確保したから」

 スタンダード洋室の船窓からは、どこかの港の、灯台の灯りが瞬いて見えていた…。