どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2015夏の巡礼㉙-洞爺湖畔、火山回道/2000年の有珠山噴火でも苦労した元農務課長の思い

-No.0760-
★2015年10月21日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1686日
      高倉健没から →  345日
★ オリンピック東京まで → 1738日








有珠山洞爺湖ジオパーク

 8月28日宵、伊達市街の店でMさんと語りつつ酒、酌みかわす。
 Mさんは、元(《11.3.11》当時の)農務課長…つまり、被災した宮城県亘理町のいちご農家に、「北海道伊達市にきてイチゴづくりをしませんか」と呼びかけ招いたときの実務当事者。
 招くにあたっては、農家の人たちに負担感がないようにとの心くばりから、援助ではなく「イチゴづくりのノーハウをわが町に伝えてほしい」バーターを申し入れるかたちをとり、住宅と、生活費は指導員給与として支払うという、手厚いものだった。

 イチゴハウスも、土地を確保して立派なものが建てられた。
 作業が楽な高設栽培が採り入れられ、これはいま、故郷亘理町にも逆輸入されてすっかり浸透している。
 
 「ここに、ハウスを建てることになったときに…」
 Mさんは、思い返して述懐する。
 「こんな傾斜地に…っていわれて、えーっ、平らじゃないですかぁ…って、ビックリさせられましたっけ」
 言われてみればたしかに、伊達の農地は有珠山麓のゆるやかな傾斜地にあったし、いっぽう彼らの故郷亘理町の農地は真っ平らな平野にあった。

 あれから4年半。
 農務課長の職責を離れたMさんは、市役所の定年を迎えていた。
 年内は嘱託としてのこるそうだが、ぼくは「けじめの慰労会」のつもり。
 年月のながれの早さをしみじみと感じる、閑かな宴になった。

 被災後、亘理町の仮庁舎では「個人情報」を理由に、伊達市に移住したイチゴ農家の動静消息は、教えてもらえず。
 北海道伊達市への問い合わせも、同じ理由でやんわり情報提供を拒まれた。
 報道記者の立場にもないボクはやむなく、みずから伊達市に出向いて地道な聞き込みをかさねて、やっとイチゴ農家の方々と逢うことができるようになったのだけれど、そこに至るには、Mさんとの出逢いがなければならなかった…。

       ☆       ☆       ☆

「明日よかったら午前中、有珠山周辺の散歩につきあいませんか」
 Mさんの誘いに、ぼくたちはのった、そういう気分が胸いっぱいに充ちていた。
 ただ、長旅ゆえ体力もおちていたので、「おてやわらかに」おねがい。
  
 翌朝。
 Mさんが案内してくれたのは、洞爺湖の南岸、有珠山北麓。
 洞爺湖有珠山ジオパーク「火山回道」のうち、「四十三〔よそみ〕山コース」。
 四十三山(洞爺湖温泉の源)は別名「明治新山」、もじどおり明治43年(1910)の火山活動で生まれた山で、この自然歩道周辺にはいくつもの火口跡がのこる、その二つを見ることができた。
 旧北大有珠山観測所、1977年噴火遺構公園に被災した病院跡などを訪ねたあと、山腹から望む洞爺湖の静かな水面に思わず嘆声をもらす。

 有珠山は、20世紀に4回の噴火を繰り返しており、平成12年(2000)の噴火のとき、Mさんは道路建設課にいたという。
 当時の混乱した状況の話しなど聞きながら、いまは「茸とりのフィールド」のあちらこちらを、愛犬「ひめ」とともに軽めの散策。

 Mさんにはまたの再会を約して、伊達の山野に別れを告げた。