どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

津軽海峡越しに遠く岩木山を望む浜…のこと/   月日も過客…人もまた過客…憐れ…儚し

-No.0756-
★2015年10月17日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1682日
      高倉健没から →  341日
★ オリンピック東京まで → 1742日

*16日、声優で演出家でもある熊倉一雄さんが亡くなった。名探偵ポワロの声、『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌を唄ったことで知られるが、ボクの記憶にのこるのは、なんといっても『ひょっこりひょうたん島』の海賊トラヒゲの声、藤村有弘さんのドン・ガバチョとの絶妙なやりとりが忘れられない*




◆8月25日昼前、木古内町から福島町へ

 《11.3.11》の巡礼がスタートしてから、津軽海峡を渡ることもまた恒例になった。
 宮城県亘理町のイチゴ農家の方々が、まねかれて伊達氏ゆかりの地、北海道伊達市に移住生産をはじめたからだが。

 ぼくらにとっては、その途次、カミさんのふるさと実家を足しげく訪ねる機縁にもなった。
 海峡の福島町には、年老いた兄が薬店を営んでおり、いまは一人住まいになっていた。
 だから、巡礼の骨休めにも、押しかけ介助にも、都合がよかったわけである。

 その兄が85歳になったのを機に、また、たまたま食道癌を発症したこともあって、跡継ぎのない閉店と闘病生活の準備にかかる。
 この夏は、そのうちあわせという、大目的もあった。

 もっとも、そっちの実際は、兄妹の誼でカミさんにまかせ。
 ぼくは翌日、白神岬へと車を走らせた。

 ぼくは、津軽海峡の風光を愛する。
 前にも書いたが、海峡越しに対岸津軽の「お山」、岩木山を望む雄大がたまらない。
 その津軽から移って来てこの辺りに住み暮らし、晴れた日には遠く岩木の「お山」を拝む人たちが、いまもいる。

 ぼくが海峡の町を訪れるのは、そうした色濃い民俗の風情に、「おいで」と手まねかれる、からにほかならない。
 その日の海峡は、身体をもっていかれそうな烈風が吹きつのって、「お山」を望むどころではなかったけれど。
 ぼくは、ぶ厚く重い雲の彼方、岩木山と思しき方角を見すえて、しばらく踏ん張ってきた。

 そうしてこのたびは、すでに長旅になっていたこともあって滞在みじかく、明くる日には辞去。
 「また秋には来ます」の心づもりであったのだが。

 ……………

 その兄が、食道癌が原因の誤嚥性肺炎に罹って、函館の病院に急遽入院。
 カミさんが駆けつけたときにはすでに重症化、そのあとを追ったぼくが、枕頭に声をかけたときにはすでに意識なく、ついに帰らぬ人となったのは、あれからちょうど一月後の、奇しくも9月25日。

 なんという、あっけなさであろう。
 さっきまで、息を喘がせ此岸にあった人が、ひとたび息をひきとったあとは、いともあわただしく彼岸へと旅立たされていく。

 そんな雑多なあれやこれ、“始末”といわれる諸事かたづけをすませる間、このブログを急遽お休みいただいた期間が、それだった。
 北海道から東京に帰った、翌日がもう初七日、過客はかなし。

 男女6人兄弟が「おかげさまで、きょうまで一人もかけずに…」と言うのが、周囲への挨拶がわりだったカミさんはその言葉をうしない。
 ぼくは、また、海峡越しの岩木の「お山」から手まねかれたときに…とりつく島をうしなった。

 待望される北海道新幹線は、長い青函トンネルを潜る間にのみ、津軽海峡をフトかえりみるだけのことになる。