どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2015夏の巡礼㉑-大槌町・江岸寺のこと/すすむ盛土造成、復興の槌音のさなかに…

-No.0747-
★2015年10月08日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1673日
      高倉健没から →  332日
★ オリンピック東京まで → 1751日










◆焼け落ちた梵鐘や仏頭…あのときのまま

 8月22日、土曜日。
 小ぬか雨の大槌町。冷たい雨の季節ではないが、こういう帳を垂れたようにそぼ降る雨には心ふさがる。
 降るともなく降りつづけ、濡れるともなく濡れる…というやつ。
 いつも言うことだが、ぼくは雨なら雨らしくザッと気もちいいくらいに降るのが好きだ。
 といっとも、近ごろの激症気候型豪雨には、ちと困惑気味なのだけれど…。

 町役場背後の城山に立つ。これも恒例のことになった。
 市街地から大槌湾にかけての眺望に、津波被災の町のその後を観る。
 ここも盛土の造成がスピードアップしていたが、その重機の轟音もここまでは直に響かず、いくぶん低くくぐもって聞こえる。

 崖のような斜面が墓地になっている。
 こういう場面に遭遇するたびに、ぼくは、腰を折り曲げた老婆が一束の花と線香を手に、喘ぎつつ這うようにして墓に参る姿を想う。
 さきに逝った人の墓参りが思うようにできなくなると、みずからが墓に入る日も遠くないことになる…。

 墓地下の江岸寺へ、坂道を迂回して下りて訪ねた。
 大槌町の寺は、あやうく難をのがれた寺もあれば、被災後に再建なった寺もあり、この江岸寺のように押し寄せた津波になす術もなく、本堂・庫裏・鐘楼すべてを洗い流されたままの現状をかかえる寺もある。
 町が瓦礫撤去の過程にあるときまで、ぼくたちは気になりながらも、寺に近づくことすらできなかった。
 なにしろ、道を見つけることさえ困難な状況だったのだ。

 いまは、かろうじて案内標識が寺へと誘ってくれる。
 江岸寺は、事務所も礼拝所もプレハブの仮設。浄財を集めて2013年春に新調された梵鐘も、いまはまだ仮の鐘楼に窮屈そうだった。
 (この鐘は青銅製の重さ600キロ、お披露目に撞き鳴らされたその音色は、肚の底まで響きわたる重厚なもので心あらわれる想いがした…と檀家の方たちから聞いていた)

 しかし、墓地やそのほか寺のあれこれ、すべたがまだ被災の痕も生々しいまま。
 津波に流された後、プロパンガスの爆発による火災に焼かれ溶け落ちた先代梵鐘や、仏頭などが、雨風に晒されていた。
 
 さらに、憮然とせざるをえない光景は、もとの境内と思しき一郭に遺された一つの墓域。大きな檀家さんのものであろう目だつ大きさが、切りぬかれたように周囲の盛土の山から窪みこんでいた。
 あきらかにそこだけが、とりのこされて…。
 くわしい理由はワカラナイながら、なにかの意思の喰い違いでもあろうか、係争中とのこと。
 なにはともあれ、復興にむけてのたいせつなときに、ざんねんな翳りではあった。