どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2015夏の巡礼⑳-眺望、釜石大観音から/アノときはたまたま参拝者がとぎれ…

-No.0746-
★2015年10月07日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1672日
      高倉健没から →  331日
★ オリンピック東京まで → 1752日









◆外堤防を越えてくる津波に息を呑んだ

 8月21日、午後。
 国道45号の、釜石市街への下りにかかって間もなく。
 釜石湾内の小さな鼻、鎌崎半島の丘上に建つ釜石大観音に立ち寄る。

 同行の姉さんに見せてあげたかったし、同時にみずからはその後のカクニン。
 はじめての訪問は、2012年夏のことだった。
 あの頃にくらべれば…。
 《11.3.11》以降、繰り返して15回目の被災地巡礼の間に、ぼくは心筋狭窄性狭心症を克服、体力にも自信がもてるようになっていたのだけれど、それでも七福神胎内めぐりの、長い石段の登りはやはりキツかった。

 像高48.5メートルの高みから望む釜石湾の眺め、この日は温気に雲もかかって視界不良だったが、あの大津波で破壊された外(湾口)防潮堤に変化は見られないようだった。修復・強靭化の工事は諦めたのだろうか…。
 平田港側の狭い平地には、ここも盛土のオンパレードであった。

 参拝を終え、ふと思いついて寺務所の方に訊ねてみる。
 (釜石大観音は市内石応禅寺の発願により1970年春に落慶
「アノ日アノ時、この観音さまには何人くらい…いたんでしょうか」
 考えてみれば迂闊にも、これまで訊ねたこともなかったのだったが。
「あのときは偶々、参拝の方が途絶えて誰もおりませんでした、えぇ、私どもだけ…。
 外の防潮堤の方を見て、大きな波が盛り上がって乗り越えてきたときには、たまげましたが…。
 ここは高いからでしょうか、恐怖感はあまりありませんでしたね」

 こん夜の泊まり、大槌町を目指す道が黄昏てきた。
 鵜住居の辺りも一面、盛土造成にうごきまわる重機の轟音のただ中にあって、鵜住居地区防災センター跡の慰霊堂も、どこに移転されたものか所在しなくなっていた。
 復興というのは…こういうこと…でもあろうか。

*写真(中)は、2015年夏の釜石大観音から眺めた釜石湾口方面、(下)は同じ位置から2012年夏の眺望。