どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2015夏の巡礼⑯-南三陸町防災対策庁舎/「早く、逃げてください」24歳の悲痛な叫び

-No.0731-
★2015年09月22日(火曜日、国民の休日
★《3.11》フクシマから → 1657日
      高倉健没から →  316日
★ オリンピック東京まで → 1767日

*今日は、近ごろではめずらしいカラッと晴れ、天気予報図を見ても列島に雲らしい雲ひとつない。生きているぼくらの命の懐、地球がきちんと生きていてくれればこそ、こんな天気晴朗もある*




◆防災・減災・避難の希望と現実

 南三陸町に入り、志津川の中心地に近づくと、国道の海側にも山側にも盛土のある風景が広がる。
 
 高層ビルの林立が大都会を特徴づける風景だとすれば、これからの東北太平洋沿岸部では、”盛土の町”が特徴ある風景になるのだろう。

 向こう10年、宮城県があずかるカタチで、遺構保存か解体かの結論が先おくりにされた防災対策庁舎の、在り方が大きく変化していた。
 まわりをすっかり盛土に囲まれてしまった状況には、〈外堀を埋められた城〉遺構は〈晒しもの〉の感がある。
 少なくとも、このままでいけば、広島の原爆ドームのような記念公園の将来像は、とてものことに描けない。

 遺構保存の賛否を別に、いま現在の感想を、関係者の方々に聞いてみたいと思う。
 石巻の大川小学校のところでもふれた、遺構としての物語性・象徴性が、この建物には期待できるのだろうか…。

 あの日あの時、この庁舎から町民に防災無線で避難を呼びかけ続け犠牲になった、若い女性職員のことを忘れない人は多いだろう。
 その24歳の遺志を継ぐべく、自宅で民宿「未希の家」を開業した母がある、2013年のことだった。

 けれども、ぼくは、いまだに、ここに宿れないでいる。
 どうしても、その気になれない、宿りのむずかしさがある。
 結論はどうあれ、防災対策庁舎のゆくえに決まりがついたところで、やっと、泊まることができそうな気がしている…。