どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2015夏の巡礼⑭-牡鹿半島の汀と浜/  月浦と谷川浜のこと

-No.0729-
★2015年09月20日(日曜日)
★《3.11》フクシマから → 1655日
      高倉健没から →  314日
★ オリンピック東京まで → 1769日









◆8月20日木曜日、巡礼5日目

 晴れて、また暑さが戻ってきた。

 牡鹿半島に入る。
 この半島も、汀に点々とつづく浜の、ほとんどすべてが津波に洗われた。
 小さな入江の港々、その一つ一つすべてを復旧させることに、正直、ぼくは疑問符をなげかける。

 そこに住み暮らす人々の、郷土愛はワカルけれど…。
 高齢化と人口減のわが国の将来は、これまでのような拡張路線では見通せない、かけられる資金にも限りがあろう。

 そこを、どう乗り越え、土地(浜)利用を集約し効率よくしていくかが、おおきな課題だったはずで、実際にそんな構想も皆無ではなかったわけだが、結局は以前のとおりの”復旧”に甘んじているようにしか見えない。

       ☆       ☆       ☆

 江戸初期、慶長遣欧使節の船が出航した港、月浦をひさしぶりに訪ねた。
 伊達政宗の命をうけた正使、支倉常長の銅像のある高台の園地にまで仮設住宅が建って、平地に恵まれない窮屈な土地事情を痛感させた港である。

 こんど行ってみると、そこに仮設住宅のある風景はかわらなかったけれども、すぐ前の小山が削り取られたあとに復興住宅が建っていた。
 「はぃ、助かりました」
 新しい住まいの前でマイカーの洗車をしていた方の、破顔一笑が印象的。
 一軒だけ目だつ二階家は、自己資金の建築ということだった。

 港に下りると、きれいに修復された岸壁に漁船がならび、広場には盛土の工事が進んでいた。
 多くの小漁港がそうであるように、ここもまた、これからさき港付近の平地利用は、漁業関連施設にかぎられることになるのだろう。
 斜面にへばりついて、のこされた民家がさびしげだった。

       ☆       ☆       ☆

 あの《11.3.11》震災大津波の後、どうなっていくのかが案じられたかつての”鳴き砂”の浜、十八成浜〔くぐなりはま〕も、懸命な復旧工事中だったが…傍目にはまだ、時間がかかりそうに見えた。
 なにしろ、ここはなかでもとりわけ土地が低い、盛土にしても半端な規模では役に立ちそうにない。
 
 半島を横断して、東側の谷川浜にまわってみる。
 鮫浦湾に面したこの浜も、(ふだんなら好立地の)低平地が災いして大きな被害に見舞われた。

 小高い崖上、八幡神社の社だけがとりのこされて、港の惨状を見下ろしていた印象がいまも強く心にのこる。
 その八幡神社の石碑が、砂の中に倒れ、埋もれかかっていた風景も心もちを寒くさせたものだったが、このたびは建て直された鳥居の下に復元されており、それだけでもずいぶんホッとさせられた。

 静まりかえった女川原発の、原子力資料館には見学の観光バスが、ただ一台…。