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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

とどのつまり<たしたことじゃない>のをご存じか/世界に怖れられる国にしたい器の小さすぎるリーダー

文化・社会・観賞・読書・思想 思うこと・考えること

-No.0672-
★2015年07月25日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1598日
    (高倉健没から →  257日
★オリンピック東京まで → 1826日




◆「おとどさま」は褒め言葉?…皮肉な蔑称でしょ!

 「けっきょく」と結論にいたったとき、ともあれクタビレはてたような、ひたすらケダルイ気分がただよう。
 (これでよかったのだろうか…)という、一抹の感慨もないではないけれど、はじめから結論はわかっていて、そこにいたるための儀式に参列した(イヤ正直なところは、させられてしまった)にすぎない気もする。
 つまり、いずれにしても「たいしたことじゃない」のであった。
 これまでに培われてきたニッポンの文化価値、唯一の戦争被爆国として、そこからたちなおるために、”戦争はしない”という遠い道程〔みちのり〕を選んだ、国民のアイデンティティーが喪われたにすぎない。

 そうして、これが、そういう”他人の顔”をした国に変貌させたい欲望に凝り固まった一人の人。
 ニッポンの現リーダー、(じぶんだけが正しいと錯覚してござる)方への、掛け値なしの感想、おくるコトバです。

 「あげくのはて」という。
 ことば(句)を挙げつらねた末になったこと…と、あきらめのムードが色濃い。
 「せんずるところ」という。
 「所詮」を訓よみにした表現ですが、焦げつくほどに「煎ずる」気配がある。煎じすぎたら薬もなにもない。
 ついに「匙はなげられた」感があるばかり。

 おなじ類のコトバに「とどのつまり」がある。
 ご存じのとおり、語源は”出世魚”のボラからきている。ボラはまた、きわめて江戸っ子的な魚でもあります。
 チョコマカ落ちつきなく動きまわる稚魚の「ハク」から、生きるうれしさピチピチ海から跳ね上がる小魚の「スバシリ・オボコ」、「鯔背」と異名をとるほどひきしまった若衆時代の「イナ」を経て、りっぱに成長すれば「ボラ」、さらに年をかさねて大物になると「トド」だそうですが…。
 ぼくは「トド」と呼ばれるほどに大物のボラには、ざんねんながらお目にかかったことがない、もちろん味わったこともない。
 幻の「トド」ですか…。

 そもそもボラという魚じたいが、名ほどに味があるのでもない。
 秋に美味といわれるけれど…ぼくなら、ほかによさそうな季節〔じき〕のお魚ちゃんがあれば、そっちを選びます。
 「カラスミ(唐墨)」と呼ばれるほどに立派な卵巣の塩漬干は珍味とされますが、それだってさほどのものですか、どうですか。
 それはさておくとしても、卵塊に次世代繁栄のすべてを託したゆえのホッチャレが、「とどのつまり」なのかどうか…。
 あれは江戸っ子の粋がり、思い入れじゃないのかな。

 ところで、肝心の「とど」のほう。
 あれは、やっぱり「おとど」、漢字で書く「大殿、大臣」からきてるんでしょうね。
 大きくなったものに対する”おそれ”、畏怖と畏敬の綯い交ぜになった存在…ですか。
 ちょっと滑稽すぎる憾みはありますが、「おとどさま」ふと安倍総理を想わせもします。

 「トド」と呼ばれるアシカの仲間の、体長3メートルにもなる海獣がいるでしょ。
 呆れたでしょうね、はじめて見た人は、「まるで大臣さまのようじゃ」と。
 「トドマツ」って北方系の、高さ30メートル・直径1メートル以上にもなる、針葉樹の大将もある。
 見上げると、顎がはずれちまいそうに、でかい。

 「たいしたもんだ」けれど。
 とどのつまり、だからどうだというのか、ただ「ばかでかい」だけじゃないか。
 声は讃辞…とんでもない、呆れ果て屋の唾棄のほかなく…しかし。
 権力を攫みとった者からは、まず、そうした感受性のほうから喪われていくようです。

 戦後70年の、終戦の日が近づいて。
 安保も、原発も、戦争と平和も、また、いつもどおりの対決の構図ばっかりで。
 もうちょっと、おとなの智慧の絞りどころって、ないもんでしょうか。

 暑さがすぎると、頭が考えるのを放棄しますが、ぼくはまだダイジョウブみたい…。
 フクシマ巡礼、報告の前に、明日もう1日。
 この国のことを、考えておきたいと思います。