どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》広島巡礼⑩-広島土石流災害地、巡礼/凄絶な引っ掻き傷の跡が物語る…無理無体

-No.0637-
★2015年06月20日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1563日
    (高倉健没から →  222日
★オリンピック東京まで → 1861日






◆えっ、またここに住むんですか…

 広島駅からJR可部線に乗る。
 よその土地の方で、可部線の名を聞いて、去年8月の広島土石流災害を思いだせる方は、よほど自主防災センサー感度が優れているといっていい。
 鉄道好きにだって、そう広くは知られていないだろう。

 「被災地を訪ねてみたいのですが…」
 広島市役所に問い合わせると、安佐南区役所を紹介され、区役所では「梅林駅で下りて歩くことになります」とのこと。
 献花台のようなものも現在はなく、この夏には(たぶんお盆にあわせて)設ける予定ということだった。

 可部線は、広島から北の山間部を目指す路線、可部までがいわば都市近郊線で、この区間はもちろん全線電化。
 かつては可部から先、名勝の「三段峡」まで非電化の観光路線が延びていたが、2003年12月に廃止されている。

 可部線は、原爆爆心地を流れる太田川を上流へと遡り、三段峡は峡谷をなすその支流にあった。
 全国どこにでも見られる地勢だが、都市部住宅地の強引な拡張がひきおこした災害には違いない。

 梅林駅で道を尋ね、歩きだすと間もなくの道端に、つい先ごろまで東北の被災地各地でたくさん見かけた支援ボランティア事務所。
 近くの畑を耕す人に声をかけると、ここも溢れた川水に洗われたという。
「住まいの方はなんとか助かりましたが、畑に入った土砂がひどいありさまで、ボランティアの方たちが丹念に石や瓦礫を取り除いてくださったあとに、土を入れ替えましたが、土壌の性質がすっかりかわってしまって…」
 いまは少しづつ手探りで、作物の育ちぐあいを試しているところだ、と。

「すぐそこの神社より上には家を建てるな、という昔の訓〔おし〕えがあったそうですが、えぇ、ざんねんながら言い伝えにはなっておりませんでしたね、私なんかも50年からここに住んでいて、こんど初めて知ったくらいです」
 〈旧いことなど忘れてしまえ〉、都市化ということは、どうもそういう〈無理が通れば道理が引っ込む〉的なものらしい。

 安佐南区八木三丁目。
 一帯随所におきた土石流災害のなかでも、もっとも被害の大きかった地点のひとつ。
 下に立って見上げる崩落の爪痕が、思ったとおり、かなりの急傾斜に、鋭い引っ掻き傷を曝していた。
 赤茶けた土をつまむと、ぱらぱらと頼りない、「まさ(真砂)土」という呼び名が脳裏によみがえる。

 なにおいても、まず、霊前に掌をあわせたかった…けれども。
 かつての日常を偲ばせる配管・配線類がむきだしになったままの、無表情な土壁の段差を前にしては、哀悼の心の向けどころにこまる。
 ぼくは(やはり拝む標〔しるし〕は必要なのだ)と思った。

 災害救援用に補強された道、後から来た工事用車両が低くギアを入れ替えて、やっと追い抜いていくほどにキツイ坂を、息をはずませて上がりつつ。
 (よく…ここに…住む…気に…なれた…もの…だなぁ…)
 呆れる思い、だったけれども。住宅地の最上部、この先「立ち入り禁止」の地点から振り返ると(ははぁ)、なるほど眺めがいい。
 「広島市街まで見晴らせる気もちよさを買った」という、被災した方の声を思い出すと、ワカラなくもない。
 ワカルけれども、しかし、このあたりの地勢を詳細な地図で見ていたら、さて、どうだったろうとも思うのだ。

 県営住宅の、のこった一棟から整地の進む被災跡に歩み寄った老人が一人、しかし、カメラを手にするぼくの姿を見かけると、そそくさと二階の自室に引っ込んでしまう。もうしわけなさに、ボクはめげざるをえない。
 泥に塗れた壁ぎわに、新しく買い換えたと見える車のボディーが、きわだって違和感だった。
 そうして同じことは、慰霊の標でもあろう、建て並べられた竿のさき、鯉幟の色あざやかさにもいえた。

 県営住宅の建物の一部が、土石流によって損傷・欠損などしたところでは、ナンと、修理や補強の工事が行なわれていた。
 (えっ、またここに住まわせようっていうんですか)
 これだけの痛手を負ってなお、それは無理無体というものではないのか。
 工事関係者に事情を聞くと、防災の方は国がしてくれるので、県では修復、帰宅させる方針とのこと。

「ホントに、いいんですかねぇ」
 ぼくが首を捻ると、苦く笑う。
「下からどのくらい高いんだろう…こんな急なところに、アナタだったら住みますか」
「さぁ、わたしは昨日から来たばかりなんで、よくわかりませんが…」
 さすが、受け応えにはそつがなかった。

 ぼくが、もうひとつ気になっているのは、広島市長のたたずまい。
 この土石流災害にまつわる報道、その一部始終を注視してきたぼくが、たまたま見のがしたのかも知れないけれど、ついに市長その人から、真摯な対応の声を聞いた覚えがない。
 (まさか県営の住宅のことは知らん、ということでもなかろう)

 さらに、さかのぼれば昨年の平和宣言。
 長崎市長のそれが「ノーモア・ナガサキ」「ノーモア・ウォー」の声を高くし、日本政府に対しても、その叫びに真摯に耳を傾けるよう強く求めたのに対して、残念ながら広島市長のそれは、これまでよりもトーンダウンしたものになっていたことが、気にかかる。

 (よもや)とは思うが、無力感というか(長いものには巻かれろ)的な心情になっていはいまいか…。
 もうじき、ことしも、戦後70年「平和宣言」のその日を迎える。