どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》広島巡礼⑤-スズメおじさんに癒される/元安川のほとり、原爆ドームのすぐ脇で…

-No.0632-
★2015年06月15日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1558日
    (高倉健没から →  217日
★オリンピック東京まで → 1866日












◆パンに群れ集う小さな鳥たち

 原爆ドームにレンズを向けつづけるうちに、ふと、周囲にめぐらされた柵がジャマに思えてきました。

 もちろん……。
 これは、世界で唯一の被爆国、平和を希求する戦後ニッポンのシンボルです。
 世界遺産になってもいる。

 それはそれとして……。
 不心得者の悪さから守るためには、やむをえない、のもわかりますけど。

 いまは瓦礫となった建物の欠片〔かけら〕に、触れることもできないのは、理不尽というものです。
 こと細かに惨禍を説くよりも、声をあげて悲惨を訴えるよりも、原爆ドームの欠片ひとつに触れられた方が、ずっと伝わりやすいのに…。
 原爆ドーム自身が、そう語りかけてくるように思えます。

 いま、あの《11.3.11》被災各地で模索されている遺構保存の関係者の方々には、ぜひ、この原爆ドームをとり囲む鉄柵に触れて、深く考えをめぐらせておいてほしい、と思います。

 ……………

 いったんドームを離れたボクは、すぐ東南の爆心地、島病院を訪れ。
 戦後70年の歳月はなんだったのか、首を傾げたくなる想いをいだいて、また原爆ドームに舞い戻りました。

 かつては広島藩の舟運で栄えた太田川(本川)が、元安川を分けるところに架かる相生橋
 橋のたもとに立って、ふり仰ぐ空が、まぶしい輝きにあふれています。

 1945年の8月6日、8時15分。
 この上空600メートルばかりのところで、原子爆弾攻撃の目標に達したアメリカの爆撃機パイロットは、投下のスウィッチを押しました。
 目視で、狙いを定める碧い瞳には、光る川筋の分岐が格好の指導になったはずです。

 爆撃機B29「エノラ・ゲイ」には、科学観測機と写真撮影機が随伴していました。
 その日の未明には、気象観測機が偵察に飛来していました、好都合の好天の確認に。
 さらには……。

 原子爆弾の効力のほどを確かめるために、わざわざ、広島に対する空襲を控えさえした、というのです。
 ずいぶん、念の入ったことでした。
 (彼らに、人道上の罪はない、のでしょうか)

 その年の春、「マンハッタン計画」攻撃目標の研究対象には、東京湾、川崎、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保、17の地域があがっていた、といいます。

 なかから絞りこまれ、最終的に広島が第1目標とされたのは、そこが唯一、連合国軍の捕虜収容所がないと思われたから、だそうで。
 でも、そのほかの国々の民間人やアジア系軍属などのことは、まったく顧みられませんでした。
 きわめてエゴイスティック、というほかないことでした。

 ……………

 もう一度、原爆ドームの正面、案内板のあるあたりに行ってみると。
 一台の自転車に、小さな鳥たちが群れ集っていました。雀でした。
 雀たちは辺りを警戒するふうもなく、自転車のハンドルやサドル、荷台に飛んで来ては、傍らの老人からパンをもらっていました。
 パン屑ではなくて、手に握られた柔らかそうなパンから、競って器用に啄んでいくんです。
 
「慣れてもらうのに3年かかったよ、雨の日のほかは毎日かよってね」
 個々の区別もつくという老人は、穏やかな表情で、与えるパンの量も加減しているのでした。
「この子はね、ことし生まれたばかりだから、育ちざかりってとこなんだ」
 巧みにホバリングしながら順番を待つ雀たちの、内懐のきれいな白い羽に癒されました。

 帰ってネットで調べてみると、案の定、この老人は界隈で有名な存在らしい。
 これ見よがしのパフォーマンスではないところが、とてもいいふんいき、でしたっけ。