どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》沖縄巡礼⑳-「不屈館」と瀬長亀次郎/ 花綵からこぼたれ”捨て石”にされた島々のこと

-No.0611-
★2015年05月25日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1537日
    (高倉健没から →  196日
★オリンピック東京まで → 1887日




◆沖縄の人すべてが声をあげれば…

 瀬長亀次郎という、不屈の人。
 ぼくなどが、知ったのは70年安保の頃。

 戦後初の沖縄国政参加選挙で、衆議院議員に当選。
 その人を特徴づける広い”おでこ(額)”をひからせ、国会で舌鋒するどく演説する姿だった。
 独擅場…というほかない存在感で、沖縄人(うちなんちゅ)魂をつよく印象づけた。

 その前、那覇市長を務めた前後には、アメリカ軍支配下、逮捕・投獄・被選挙権剥奪といった妨害を受けている。
 瀬長さんは、90年まで19年間、衆議院議員在職の間に、沖縄返還(祖国復帰、72年)をはたし、またヤンバルクイナの国の天然記念物指定などにも力を尽している。

 ぼくの大学時代の知友に、沖縄の女性と結婚した男がいた。
 彼女が、あるとき、母の形見とかの簪を見せてくれたことがある。
 丸い、紅い玉ひとつの、切っ先するどい簪。
 「からじ」と称する沖縄髷の、髪をまとめるのに刺す。

 「いざ…というときには、この簪で、だいじな人をひとおもいに突いて、そのあと、ワタシも胸を突いて死ぬんです、そう教わってきました」
 眦〔まなじり〕をけっして言われたときには、思わず寒気がしたものだった。

 なぜか、このコトバと、瀬長さんの面影とが、だぶる。

 那覇市内の港近く、国道58号からもほど遠からぬ「不屈館」。
 瀬長さんの次女が中心になって運営するそこは、民衆の支えによる民衆のための資料館を目指すために、「瀬長亀次郎と民衆資料」の添え書きを掲げる。

 南北に点綴〔てんてい〕として連なる日本列島は、そのむかし「花綵〔はなづな=花で編んだ飾り〕のように美しい」というので”花綵〔かさい〕列島”とも讃えられた。

 その南の島々、沖縄列島(琉球列島)をふくむ花綵の一部を、かつて本土は”捨て石”にした。
 70年後に、また、おなじことを繰り返されるなら、もはや「たのむ」にたりない…。

 2013年、春に「不屈館」ができ、夏に「島ぐるみ会議」が結成。
 2014年、暮れに翁長知事誕生。
 2015年、春に「辺野古基金」発足。
 ”オール沖縄”の胎動は、いま芽吹きのとき。

 「瀬長ひとりが叫べば、500メートルはとどく。沖縄の人すべてがそろって声をあげれば、海を越えてワシントン政府を動かすことができる」
 おなじ意志を抱いて。
 翁長知事はまもなく、アメリカにとぶ。

 「本土で覚悟を決めて米軍を受け入れ、立派な日米同盟をつくってほしい」
 5月20日、翁長知事は日本外国特派員協会の記者会見で述べた。

 痛烈…に、ぼくはうけとめた。