どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》沖縄巡礼⑰-北山王の本拠、今帰仁城跡/琉球王朝までの沖縄のこころ…よみがえる日

-No.0608-
★2015年05月22日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1534日
    (高倉健没から →  193日
★オリンピック東京まで → 1890日

*あれから1か月、20日に沖縄は梅雨入り。翁長沖縄県知事は、辺野古基金を梃子に訪米、アメリカ議会に直接、辺野古基地建設の断念をはたらきかけることになっています。成果は”空梅雨”であってほしいものです*





◆連絡船の出る港…

 このたびの《戦後70》沖縄巡礼では、離島行きのスケジュールがとれなかった。
 チャンスがあれば、またの機会に…というのは、慰めにすぎないオソレもあったけれど、やむをえなかった。

 そのかわり、近場の島ひとつくらいには渡ってみたかった。

 沖縄のいま、本島をはじめとする主要な島では、渡船にかわる交通近代化策として、属島への架橋が進んでいる。
 ”海中道路”と呼ばれるものが、多くの小島と本島とを結ぶ。

 ぼくらも2日目に、東海岸うるま市の、平安座島・宮城島・伊計島に渡っている。
 きのうも、辺戸岬から本部半島への道は、屋我地島との間の海峡というか、水路を橋で渡ってきた。

 しかし、島には船…の風情すてがたく。
 
 きのう、海洋博公園(美ら海水族館)から洋上に望み見た伊江島が、「めんそーれー」と手招くかに思われた。
 そうして実際に、予定では渡ってみることになっていたのだ。

 けれども。
 きのう、ホテルに入ってから改めて確かめてみると、ザンネンでした。
 あろうことか、なんとボクは、フェリーの運航時刻表を繁忙の夏休み期間と見誤っていたのだった。
 いま現在、通常期の運航スケジュールでは、その日のうちに行って、帰って来られない。
 やむなく、島渡りはあきらめたが…。

 翌くる4日目、4月16日朝、伊江島行きのフェリーが出る本部港へと、レンタカーを走らせた。
 ”連絡船の出る港”の匂いを嗅ぎに…ほとんど演歌の世界、わかっちゃいるが…。
 朝便の出入りを見とどけてから、スケジュールに戻る。






今帰仁〔なきじん〕城跡に古〔いにしえ〕偲ぶ

 きのうも通った西海岸北部、本部半島の道。
 途中から内側に折れて、うねうねと山道を登ったさきに、今帰仁城跡。
 琉球王国成立以前、14世紀ごろの城〔ぐすく〕跡に立つ。

 櫓の門をくぐって天守を仰ぎ見る、壮大な城郭も見ごたえがあるが、いま見る「百曲がり 積み上げ」た玉のような石組、はやくも夏草の生い茂り匂うなか、1.5キロにもおよぶという城壁の連なりもまた、想い遥かにみごとなものだった。

 その14世紀、当時の沖縄本島は、北山(北部)・中山(中部)・南山(南部)の3地域に、割拠支配される”グスク時代”であり、この今帰仁城は、北山王の北山城であった、と。その支配地域は、本島北部から奄美諸島にまでおよんだというのだ。
 首里城に次ぐ規模であったといわれる海人の城からは、うちつづく城壁の向こうに東シナ海の海波が見えていた。

 この北山も15世紀のはじめ(室町時代)には滅ぼされ、その後の監守時代を経て、1609年薩摩軍による琉球侵攻に遭って今帰仁城は炎上したとされる。

 風わたる世界遺産の城跡には、そここにテッポウユリの白い花が揺れていた。
 いま、テッポウユリとなにげなくいったけれど…じつは近縁種に、より南方系で大形のタカサゴユリがあるので、さて、どちらか…ボクにはくわしいことはワカラナイ。

 琉球王国から、日本国沖縄県になって、血戦の戦場にされ、アメリカ統治の辛酸も嘗め、耐え忍ぶことに慣らされてきた人々が、いま目覚めたことを、ぼくらは城壁のめぐり歩きをしつつ想った。

 ハイビスカスが、紅い花を開きかけているかに見えて、係りの人にたずねたら、「あれで開いているの…そういう種類の花なんです」と。
 教えられて、あらためて見ると、可憐で芯のつよそうな花、(それぞれのお国柄)ということを、ふと想った。