どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

祭り好きオノコ、ひさかたぶりの”三社”にくりこむ/「せいゃ」の声が腹の底から吹き出し、唸りとなる…

-No.0606-
★2015年05月20日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1532日
    (高倉健没から →  191日
★オリンピック東京まで → 1892日




◆男っぷりもっこり、女っぷりも艶めき華やぐ

 5月18日の日曜日、三社祭も〆の日。
 ”宮出し”は午前6時。
 (役の者たちは払暁前まだ暗い3時頃から動きだす…祭りの気は逸るが目は眠い…)

 間にあわせるには、前夜から浅草に泊り込まねばならない。
 いま現在のボクの場合、日曜朝バスは、6時01分が始発。
 田舎(町田)者のツラいところだ。

 浅草に泊り込めなかった神輿仲間は、コインロッカーの前で、裸も同然の祭り衣装に着替える。
 かわりに普段着を中に突っ込んで意気揚々と祭り場に急ぐ。
 女たちは、それを見ても、笑いはしない、ただ内心ちゃっかり、値踏みだけはしてみたり…。

 ……………

 若かりし日、ぼくが鉄板焼きの板場をあずかったとき、包丁の指南をお願いした人が名うての”神輿組”だった。
 小柄な男だったけれど、気っ風、度胸は人一倍、肝を鍛えるために背には刺青…半端じゃない証拠に他人には(ぼくにもついに)見せず、夏でも肌着にたいせつにくるんでいた。
 この男が、ある年の三社”宮出し”に来るかぃ、と声をかけてくれた。
 先棒を(とびきり目につく勇みどころ、だれもがねらう役を)とってみせる、と珍しく意気ごんだ。

 「おーょ、見せてもらおぅ」
 そのときの一幕、ホント、芝居みたいだった。

 合図の拍子木がチョーンと鳴る、途端に脱兎のごとく駆け出す若い衆、勇み肌の筋肉が緊張しきって膨らんでいる。
 小さい彼の姿を、一瞬、見失って先棒に目をやったら、いい体格をした若いのがもう先棒にとりついて…と思ったら転瞬…その若いのが、後ろからツンと急所を衝かれでもしたように前に体を泳がせ、空いた先棒を握っていたのは、約束どおりのカレだった。
 ぼくは、唸った。

 あとで聞いたら。
 「急所を突く、はっは…まさか、そんな野暮はしないよ」
 涼しい顔をしてましたっけ。

 ……………



◆雷門の前に着いたのが10時ころ

 ちょうど三之宮の神輿が仲見世から出てくるところ。

 ここで担ぎ手は、仲見世の衆から雷門の衆に引き継がれる。
 こうして神輿の渡御、コースには決まりがあり、それぞれの町会ごとに、担いで〈もめる〉時間にはかぎりがある。
 (一之宮、二之宮、三之宮、三基の神輿で氏子町内をくまなく、一日がかりで渡御して巡る)

 一年に一度、この日の、このいっときが、いのち。
 だから、どこでも、できるだけゆっくり神輿を運ぼうとするが、世話役がそこをうまく、なだめて、すかす。
 (むかしにくらべると、神輿の渡御もずいぶん、おとなしくなった)

 しかし、神輿を担ぐ衆の掛け声だけは、かわらず、いい。
 たっぷりと重い(三社神輿は一基がおよそ1トン)神輿を揉むのに、「わっしょい」では間が抜けて、腰がくだけてしまう。
 「せいゃ」と息を短く引きながら肩にに受け、短く吸い返しながら押し上げる。
 重みがズシリと肩から腰にかかるのを、人数で割って、足踏みのバネで和らげる。
 掛け声が「せぃ」と重く、地の底から響くように重くなるのが、神輿の傍についているとわかる。

 そこで、いいところで担ぎ手がかわることを「肩をかわる」という、肩代わりだ。
 それも、まわりに迷惑をかけないようにスッと素早いタイミングで入れ替わる、そのへんも世話役がうまいこと、とりはからう。

 三之宮の神輿練りについて、雷門の町をひとめぐり。
 吾妻橋の表通りを西に見送って、こんど北へ、一之宮の神輿を追いかける。
 
 花川戸二丁目でつかまえた…といっても、神輿はなにも、にげたりはしないのだけれども。
 追っかける方は、気が気ではないのだ。

 祭りは、男っぷりの見せどころ。
 白装束の基本にかわりはない、ながら、時代による変化はとうぜん。

 かつては股引、パッチに半纏姿、足には草鞋と、きまっていたものだが。
 いつのまにか、股引が短パン、草鞋が白足袋になり、いまでは白褌まるだし、それを隠すというより、ちょい見せの格好づけに、半纏の腰のあたりに腹巻なんぞ巻いている。

 男ざかりと思しき、さりげなく姿のいい男前に訊ねてみたら。
 「あれは若さのモロダシってやつでね、やっぱり男はこれ、だよ」
 ピチッと短い股引から太腿のあたりを、いい音にパチンと叩いて見せた。
 「プラス、ここと、ここ…なんてネ」
 胸と肩をさすって、顔をひとつツルンと撫でた。

 ぼくも、いっとき神輿を担いだ。
 翌日は、肩がどうにも痛くて、重いのを、つい愚痴ったら。
 ぼくが通っていた神田の寿司屋の、大将に軽く笑われてしまった。

 せがんでチラと見せてもらうと。
 仕事着の下に、”神輿ダコ”が固く盛り上がっていた。
 「こうなりゃしめたもんで、もう、てんで痛くない」
 (ちくしょう、あたりめぇだぃ)

 女の神輿連が、ぐんと多くなったのも近ごろ、ウレシイ。
 以前は、女衆のなかでも気っ風のいいのが、クッと眉釣り上げて切りこんでくる、感じだったのだ。
 胸に高々と晒巻き締めてさぁ。
 (あれも、ずいぶんヨカッタけどなぁ)

 惚れ惚れするような女っぷりのいい姉さん連中はもとより、侠〔きゃん〕な生きのいいのもいっぱい。こりゃ、もはや「彩を添える」どころの話ではない。

 わが子の”祭りデビュー”にも、おおいに熱が入っている。これは、いいぞ。
 肩を代わって先棒に入った父親が、子どもをその上に乗せて揉む。
 子どもがはしゃぐ、まわりから歓声が後を押し。しばらく燥がせておいてから、世話役が難なく受けて下ろして母親に返す。

 うれしい風景を、いっぱい、見せてもらって。
 ぼくの体力、ここまで、とても夕方の宮入(19時頃)まではもたない。

 ダラシなくなったぶん、目が子どもたち〈味噌っかす〉に向くようになったことに、あらためて驚きました。
 (ぼくが撮った”三社おこさま写真”のいいとこ、せっかくですから明日もういちど出番もらって、お披露目させてもらいましょうか…)