どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》沖縄巡礼⑯-海洋博公園の美ら海水族館/ジンベエザメが3匹もいる超迫力

-No.0604-
★2015年05月18日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1530日
    (高倉健没から →  189日
★オリンピック東京まで → 1894日








◆見とれる時間の…長かったこと!

 叱られて…目の醒める思いで、気をとりなおした辺戸岬から、本部半島の海洋博公園へ。

 美ら海水族館へ、ジンベエザメに逢いに行く。

 自然から〈うけとるもの〉がいっぱいあるボクだけれど、なかでも海からのメッセージや啓示、プレゼントされ癒されるものには、かぎりがない。
 これほどまでに海が好きだから、《11.3.11》東日本大震災、大津波被害の深刻さには痛切に胸が痛んだ。

 海洋博公園は、1975年沖縄海洋博覧会の会場跡地に造られた。
 それは知っていた、けれども、(いつもの基地との引き換え策)に、べつだん興味はなかった。

 そんな事情がガラリと一変…したのが、世界最大級の水槽にジンベエザメがやってきたからだった。

 北陸・能登に旅して、のとじま水族館を訪ねて行ったのも、ジンベエザメに逢いたい一心。
 (吾ながら、笑ってしまうくらいに、まったくガキっぽい)
 逢えて…よかったのだけれども、”ザブトン口”が一匹だけ、それも狭いくらいの水槽にいるのを見ると、気の毒な境遇が忍びなくって、こんどは沖縄に行って、もっともっと心おきなく堪能したいと、切実に願ったものだった。
 (みずからガキのない身が、代償をもとめたみたいにガキっぽい)

 海洋博公園の広大な園地には、ほかにも、いろいろな施設があり、水族館とは別だての見学施設として、イルカラグーンとか、マナティー館とか、ウミガメ館(み~んな無料)などもあるのだけれど、ぼくたちは真っ直ぐに、見学料を払って水族館へ。

 水族館のなかにも、趣向を凝らしていろいろと見どころが用意されてあるのだけれど、ぼくたちは熱帯魚の海など巡って黒潮の海の大水槽に出逢ってしまうと…もう、そこを動かなかった。

 ここには、ジンベエザメが、三匹もいる。
 三匹になると、さすがに大水槽でも手狭感はいなめないと見え、三匹がそろって目の前をよぎることは、滅多になかった。

 はじめは水槽まぢかに「やぁ」と挨拶がてら、マンタの群れ泳ぐなかを悠々と影をすべらせ、またしごくのんびりと戻ってくるのを、見送っては、出迎える。

 子どもっぽいのはボクたちばかりではなかった。
 バンザイをし、大きく手を振り、タブレットスマホをかざして、待ち構える。
 子どもは、このさい、味噌っかす。
 それくらいに、迫力も存在感もちがう。

 首が草臥れてくると、後方のベンチシートに腰かけ、半身を仰け反らせるように、眺めて、なお飽きることがない。

 どれくらいの時を、そこですごしたろう。
 なにしろ夕方、陽のかたむく頃まで、飽きずに見惚れて、眠気をもよおすこともなく、そこにいた。

 これほど長い時間をすごした水族館は、これまでにない、ほかにない。

 ……………

 沖縄は基地と引き替えに大金を貰ってきたんだから(仕方がない)という声が、いまでもある。
 (なるほど、ある時期そう言われてもやむをえないことがあったかも知れない、経済的に基地に依存しなければならない時期があったかも知れないが…)
 いまは、「基地は負担」だといえる。そこまで、違ってきている。
 
 美ら海水族館も、国営だ。
 けれども運営は、沖縄だ。
 これ見よがしの札束も、魂を売りわたすことはなしに受けて、よく見ちがえるばかりの実に育ててきた、といっていい。

 辺野古の海から、北端の辺戸岬、そうして美ら海水族館までの長い一日、4月16日をこれで終えた…。