どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》沖縄巡礼⑫-テント村は自信を深めていた/辺野古基地阻止を後押しする”オール結縄”の民意

-No.0599
★2015年05月13日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1525日
    (高倉健没から →  184日
★オリンピック東京まで → 1899日






◆ただ、たじろがない

 4月15日、水曜日。
 辺野古へ。
 (そろそろ…)目的地に近い、と思われる国道脇のコンビニに立ち寄りましたが、ごくありふれた人気の少ない地方の風景。

 ゆっくり車を進めると、目の前の高台に立派な沖縄高専の建物。
 あとで聞いたところによると、これも政府肝煎りの施策施設。それで少しは若者の人口が増えた…くらいのところらしい。地着きの人の数は減るばかり、とのこと。

 そのまま進めばキャンプシュワブのゲート前に出るわけでしたが、まずは辺野古の海を確認に、浜への道を下りました。

 閑散とした小さな辺野古漁港の隅に、基地建設阻止のテント村。
 なにも行事予定のない日でしたが、浜には三々五々、訪れる人がある。
 キャンプシュワブとの境界、フェンス越しに新基地の予定される海を眺めて去る人もあれば、テント村に寄って事情を聞いていく人もあり…。

 なかに、ひとりの若者が、真剣に、テント村の人と話しあっている姿が、新鮮で印象的で。
 1970年代、安保闘争全共闘世代のボクには、”のんぽり”という懐かしいコトバが思いだされます。
 (あの頃と違うな…)と感じたのは、話しあう双方が穏やかなこと。たがいに意見をぶつけあう、ところは見られませんでした。

 若者はその後、みずからの考えを探るようすで港周辺を歩き、沖合に停船して監視にあたる海上保安庁の船を見つめて、やがて閑にいなくなりました。
 エメラルドグリーンの、ジュゴンとサンゴの、辺野古の海は、黙して語りません。

 岸壁に係留された小型漁船の数からして、少ない浜の漁師たちには、すでに漁業補償金…という現実。
 けれども、8年4000日を超える阻止行動をつづける人たちには、”地に足の着いた自信”といったものが看てとれます。
 ただ、たじろがない。

 学生運動に参加、その限界も痛感した覚えのある者には、ふと、いい感じの笑みがうかぶばかりでした…。

 「翁長知事とともに」
 島ぐるみ会議の、みんなで行こう”辺野古バス”は、那覇市からは毎日、宜野湾市うるま市沖縄市名護市からは曜日を決めて週に1回、運行されています。
 4月9日に創設されたばかりの「辺野古基金」には、2週間で8,900万円が集まったそうです(4月25日現在)。

 ”オール沖縄”の運動は、明らかに。
  〽さぁ、ゆい、ゆい…
 これまでとはちがった民意の色に、彩られてきています。