どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》沖縄巡礼⑩-奥武島から東海岸を辿る/「うちなんちゅ」は年寄りになっても存在感があった

-No.0596
★2015年05月10日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1522日
    (高倉健没から →  181日
★オリンピック東京まで → 1902日







◆げんきな年寄りと立派な墓と…

 昼どきをすぎて、腹は減っていたけれども。
「いいかな…行こうか」
 ぼくは、助手席に声をかけ、レンタカーを発進させた。

 朝早く嘉数高台公園から普天間飛行場オスプレイをにらみ、旧海軍司令部壕、喜屋武岬、琉球ガラス村、ひめゆりの塔、そして平和祈念公園と、みっしりタイトなスケジュールをこなしたあとには、ちょっとしたギア・チェンジが必要になっていた。

 南部の丘を東へ走る。
 短い橋をわたって訪れた奥武島〔おうじま〕は、海人〔うみんちゅ=漁師〕の島。
 休日になると、新鮮な海の幸をもとめて多くの人がやってくる。

 ちょうどモズクが旬の季節で、生のモズクはこの時季にしか食べられない。
 その生モズクたっぷり、沖縄てんぷらの店に行列ができていた。
 その場で揚げてもらったのを、熱々のうちに食べるのが「サイコー」と親指サイン、「おぃひぃ~!」と笑みこぼれるカップルにも魅かれた。

 ぼくらも生モズクとアーサー(アオサ)ほか、幾種類かのてんぷらをもとめ、ついでに地魚の刺身もゲットして、港でほおばる。
 沖縄のふっくりモズクは味がよいことは知っていたが、「もずく酢」が定番、てんぷらは初めて、目のさめる味わいだった。

 ぼくは、沖縄の午後を走った。

 〈ニライ橋・カナイ橋〉と名づけられた、大海原にフワツと浮き立っていく感じの道路があった。
 「ニライカナイ」は、奄美・沖縄地方で信じられてきた神の世界、東方の海の彼方にある豊穣と生命の根源の聖域。

 知念で南部の丘から東海岸へ。

 賑やかに開けた西海岸にくらべて、こちらにはまだ故郷色が濃かった。
 それでいて、まばらではあるけれど、町には町の賑わいがある。
 メリハリがある。

 やはり、年寄りの姿がめだつが。
 足腰のしっかり丈夫な、存在感をもつ人が多いように思う。

 沖縄では、〈亀甲墓〉と呼ぶ、大きくて立派な墓もめだつ。
 墓地がまた、ずいぶんいい場所にある、角地にある、海の眺めのいいところにある、宅地なんかより高そうな…一等地にある、なにしろ東京モンの感覚でいけば「えっ」というような場所にあるのだ。
 そうだ、沖縄には「家のお墓に入りませんか」という口説き文句があったくらいだ…と、聞いたことがあった。

 げんきな年寄りがめだつことと、立派な墓がいいところにめだつこととは、つながりがありそうだった。
 それはきっと、死者をだいじにするというよりも、生死にかかわらず命をたいせつにすること、に違いない。
 それが〈平和の礎〉にまでつながっている…。

 東海岸を中部まで。
 うるま市の海中道路を、平安座島・宮城島・伊計島まで往復して、さすがに心地よい達成感があった。

 西海岸へ、残波岬まで戻る。
 地図で見るほどの距離感はなかったけれど、連泊になるホテル日航アリビラに着く頃には、さすがに暗くなっていた。