どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》沖縄巡礼⑨-こころ鎮まる「平和の礎」/国籍・人種、軍人・民間人わけへだてない慰霊の碑

-No.0595
★2015年05月09日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1521日
    (高倉健没から →  180日
★オリンピック東京まで → 1903日






◆死生観の故郷がえり

 沖縄平和祈念公園(戦跡国定公園)に、歩いて、ふと心鎮まる一郭がある。

 平和の礎〔いしじ〕
 「沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑」
 入り口の告知碑にあるとおり、国籍も人種も、軍人と民間人の区別もなく、沖縄戦で亡くなったすべての人々を慰霊する。

 屏風を建て並べたように、脈うち、幾重にも連なる花崗岩の碑の両面に、刻銘のかずは24万名を超え、現在も追加の申し込みが受け付けられている。
 敵味方なく…という慰霊のありようが、うちなんちゅ(沖縄人)らしく、まことに親身だ。
 あれほど圧倒的に差のあった勝者と敗者の壁を、(しかも敗者の側から)とりはらった処からしか、世界の恒久平和など訴えられはしない、ということ。

 平和の礎ができたのは、1995(平成7)年。
 だから、ぼくも初めてだった。

 広場の噴水池の、水底に日本とその周辺の地図が刻まれており、たまたまボクが見た北海道側からだと、沖縄は溜息がでるほど遠かった。

 礎の並ぶなかを、立ちどまり立ちどまり歩いて、振り返れば、そこにも修学旅行生たちの群像。
 たむろする中から一人、ぽつんと離れて海を見る男の子があって。
「いるんだなぁ…いつの世にも…」
 ぼくはそこに、かつて若き日の自分を、かさねて見た。

 想えば10代の後半あたりが、いちばん死生観を身近にしていた。
 それからの青春時代は、むちゃくちゃに、吾を忘れて浪費に奔った。
 そうしていま、さすがにかつての瑞々しさは失いながらも、死生観の故郷がえりだ。

 (自決できるくらいの意志力はあるか)ぼくは、自問する。

 ぼくは、信仰ではなく、命あるかぎり懸命に生きる生きものとして、自然にまかせることができればなによりとは思いつつ、それが難しい局面に遭遇したときには、自らの命はみずからの手にゆだねたい、その意思をもちつづける命でありたかった。

ノーベル平和賞を…

 …という動きが、いま起きている。
 わけへだてない慰霊の気立て、「平和の礎」をつくった沖縄の人々に。

 なぜならば、その根っこにあるのは琉球時代から連綿と継承されてきた平和思想、「命〔ぬち〕どぅ宝」(生きるものすべてを大切にしようという考え方)であり、それこそが稀にみる「平和の礎」を建てさせた。

 その沖縄の人々がノーベル平和賞を受賞することになれば、混迷を深めるこんにちの世界の国々に、力強くアピールするメッセージになるに違いない、というのだ。

 ぼくは、ノーベル平和賞の在り方、その行方に、違和感を抱きつづける者だけれど、このさいは疑問符を感嘆符にさしかえて賛同しよう。
 
 運動の母体は、市民団体「命どぅ宝の魂〔まぶい〕を継承し、平和の礎を創設した沖縄の人々へノーベル平和賞を!」実行委員会。フォーク歌手〈まよなかしんや〉さんが事務局長をつとめている。