どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》沖縄巡礼⑧-摩文仁の丘の平和祈念公園/想い追いかけて…微睡みに誘われる昼下がり

-No.0594
★2015年05月08日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1520日
    (高倉健没から →  179日
★オリンピック東京まで → 1904日







◆断崖から退いた平和の園地

 うねるような南部の丘陵地帯、南端の島尻にある摩文仁〔まぶに〕の丘。
 それは、まっさきに覚えた沖縄地名のひとつ。

 はじめて沖縄を訪れた1972年、本土復帰直後の頃。
 断崖に立って、暑いくらいの陽を浴びながら、ぼくは脚のふるえてくるのを抑えきれないでいた。

 その琉球石灰岩の台地、海波に荒削られた断崖の洞窟には、南へ南へと撤退をつづけた日本陸軍の、最後の司令部があった。
 そうして、1945(昭和20)年6月23日。司令官の自決によって激戦に終止符がうたれた沖縄地上戦だけれど、じつはその後も7月に入るまでつづいたアメリカ軍の、掃討作戦による民間人被害のほうが、遥かに悲惨をきわめた…。

 それを知らずに生まれたボクだけれども。
 戦争を知らない子どもたちにも、いれてもらえない。

 戦跡国定公園摩文仁の丘には、その後、国立の戦没者墓苑ができ、隣接する平和祈念公園には、平和祈念堂・平和祈念資料館ほか、さまざまな記念の塔そのほかができて、つとめて明るく整えられてきた園地は、それでイイのだけれども…「まぶに」の断崖からは一歩、退いた感もあり。
 それはまた、こんなに「平和祈念」をあふれさせても、なお現実には遠い平和を思わせたりもする。
 さらには、これら広大な園地・施設が「基地とひきかえ」という一面も、ざんねんながら無くはない。

 緑の園地には、課外授業の生徒たちや、家族連れのピクニック姿が、微笑ましく。
 海からの風に揺れる崖の草原には、テッポウユリの花の白が夢のよう。
 この半日、かけめぐる想いを追いかけたきたぼくたちには、ふと微睡にとけてしまいたい誘惑があった…。