どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》沖縄巡礼⑦-次代に生きる”ひめゆり”を/70年経ってもかわらない”おもさ”をどうするか…

-No.0593
★2015年05月07日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1519日
    (高倉健没から →  178日
★オリンピック東京まで → 1905日









◆なんとかしてくれ…ませんか

 ひめゆり

 夏を思わせる陽射しのなか、白く乾いた道を、腰を低くするように、黙して走る。
 「変わっちゃってる?」かみさんに訊かれても。
 「……………」ぼく、こたえられない。

 もう、あれから40年にもなるときのことは忘れられないクセに、細かいことはひとつも記憶になかった。
 「ひめゆり」はそれほどに、おもかった。

 あのときも白く乾いた道。
 自然の汗…とでも言えばいいのか、たとえば乾草のにおいとか、磯浜のにおいとかのような、ほのかな甘酸っぱさが胸に沁みたことだけを、覚えている。
 それが、いまは薄れたみたいに感じられた。

 このたび那覇空港に着いて、すぐに感じたことと、かわらない。
 なにしろ、だんぜん空気がちがっていた、つきつめれば、”気負い”というようなものは、なくなった気がする。

 遠い日、案内してくれた女性が『てぃんさぐぬ花』を唄ってくれた。
  〽てぃんさぐぬ~花~や 爪先(ちみさち)に~ 染(す)~みてぃ
 そういう、ふんいきの頃だった。

 いまなら『ざわわ』だろうか。
 おなじように乾いてはいても、湿めり気のほどがちがってきたと思える。

 ひめゆりの塔
 真ん前の交差点で、多くの訪問者たちが信号を待っている。
 道筋にズラッと、土産物店などがひしめいている。

 大きな駐車場に吸い込まれる。
 (こんなだったろうか……)
 そんな気もするが、妙にちぐはぐな明るさに戸惑う。

 献花販売所、かみさんが列に並んで、花をもとめる。
 ひめゆりの塔、にむかう。
 修学旅行と、ツアーの団体さんとが、こもごも、ガイドに導かれ説明を受けている、ごったがえす。

 慰霊の碑の前の、献花台に花が盛り上がっている、(明日になれば整理されることになるのだろう…)花を奉げる場所を、かみさんが整えている。

 人混みのなか、高校生らしい男子生徒たちが、合わせた手のやり場に困っているふう。
 ガイドの思い入れた説明に、そむける顔があり、迷惑そうな顔があり、助けをもとめるような顔がある。
 手を合わせたら、自撮り携帯で、ハイ、ポーズ…。

 そういう場所になっていた。
 空気が、マスクごしみたいに薄れていたけれど。
 慰霊鎮魂のおもさと、奇妙な達成安堵感とが、綯い交ぜになった違和感は、かわらない。

 その後(1989年建立、2004年改装)にできた資料館の展示に、落ちこぼれた生徒たちが、あちらこちらの壁際にたむろして、時間をつぶしている。

 ”ひめゆり”の生存者で、長いこと語り部をつとめてこられた最後のおひとりが、高齢になって辞められたのが、つい最近のこと。
 説明を聴こうとしない生徒、あからさまに反抗する生徒などが目立ってきた…という、困惑の声も漏れ聞こえた。

 ……………

 あえて、いわせていださい。
 いまの若い人たちが「カンベンしてくれよ」という気もち、わかります。
 ぼくにも、似た思い、ありますから。

 惜しんでも惜しみきれない想いは、わかります、伝えのこしたい気もちも、わかります。
 伝わるように、伝えてください。
 押しつけられるのは、ごめんです。

 ……………

 ぼくは、”世にならう”必要を思う。
 来訪を受け容れる側、伝え知らせる側に…。

 ”おもねる”のでなく、”おしつける”のでもなしに。
 生まれ継いで、いまの、この世を生きる者たちに。
 伝えるにはどうしたらいいか…を、もう少し考てほしい。

 聞かせる術だ、聞けば響く感性はあるし、響けば動くパワーもあるのだから。
 静的、教導的な展示を、動的に、感受的にあらためたらいい、と思う。
 戦後70年の、このときから、新たな世代に向けて伝える術の模索を、ぜひ、はじめてほしい。

 たとえば、再現された現実の壕と、さまざまに想定される活動と連携のチームワークなどを、グループごとに追体験できるくふうとか。

 バーチャルを毛嫌いすることもない、と思うのだ。
 すでに、ぼくら戦後世代からしてすでに、ひと世代前から見たら充分すぎるほどに、バーチャルに世を生きているではないか。

 ”ひめゆり”の時代と、なるべく似たような状況をこしらえて、その中でどう動くか、どう動けるのか…といったような経験をさせてあげられれば、彼らにもわかる、きっと受け容れられる。

 つうじない話しに悩むより、彼ら若い世代の感受性との接点を、探って見つけたい、ヨロコビとしたい。

 ……………

 ぼくの言うこと、まちがってますか、マトハズレでしょうか。