どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》沖縄巡礼⑤-オキナワ・ブルーの喜屋武岬/端っこを見すごせない…たしかにそれもあるけれど

-No.0590-
★2015年05月04日(月曜日、みどりの日
★《3.11》フクシマから → 1516日
    (高倉健没から →  175日
★オリンピック東京まで → 1908日







◆そこには、ただ風が鳴るばかり

 旧海軍司令部壕のある豊見城から、さらに南下、糸満市に入る。
 日本復帰まもない沖縄を、船旅はるばる初めて訪れた1972(昭和47)年のとき、戦跡めぐりの後、気分転換に立ち寄った糸満の漁村、赤銅の鞣し色に灼けた男たちの肌に、こころ癒されたことを想いだす。

 きのうの記事でふれた「島守」、戦時の島田叡沖縄県知事は、県組織の解散を命じた6月9日以降、消息が知れず、遺骨も見つかってはいないが…。
 きっと、守備軍の後退に従って人々と、ともに南へ、南へ。

 本島南部、摩文仁の丘に、追い詰められた守備軍司令官牛島中将が自決して、日本軍の組織的な戦闘が終えた6月23日あたりに、やはり最期のときを迎えたことだろう。
 
 南端の喜屋武〔きやん〕岬。
 正確には、さらに東寄りに突き出す荒崎が南端になるのだが。
 
 高さ50メートルもの断崖がつづくこのあたり、摩文仁にかけての大度海岸に、どれほど多くの人々が逃げ場を失い、身を投げたことか。
 泥岩と石灰岩に由来するという岩々が、波に削られごつごつと、痛々しくむき出しになっているのが、たまらなく辛い。

 空も海も、穏やかに、初夏を思わせるオキナワ・ブルーに広がり。
 魂鎮めの、平和の塔は黙然として。
 荒れ地に丈高く繁ったアダンが、固い表情の実をつけたいた…。

 ……………

 戦後70年。
 文明がめまぐるしい発展を遂げた、この現代社会。
 けれども…この70年、懸命に生きてきた庶民にとって、けっして短いものではなかった。
 「たかが」でも「されど」でもない、70年だった。

 けれども。
 すぎゆく世、うつりかわる世には、伝え方も変わらざるをえないだろう。

 喜屋武岬も、”バンザイ岬”のひとつ。
 この”バンザイ”の意味が、どこまで間違いなく理解されるものか、不安かぎりない、いまの時勢だけれど。
 すまないが、その意味をかみくだいて説明する気は、ボクにない。

 その喜屋武岬の、すぐ近くにまで、逞しい宅地建設の波が押し寄せてきていた…。