どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》沖縄巡礼②-迎えは普天間のオスプレイ/嘉数高台公園の展望台へとボクは攀じ登る

-No.0587-
★2015年05月01日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1513日
    (高倉健没から →  172日
★オリンピック東京まで → 1911



◆薄暮、小ぬか雨の普天間飛行場

 4月13日、不安定な春の空、途中に気流の乱れなどあったようで、沖縄行きのジャンボ機は飛行に手間どった。
 着陸態勢に入ってからも、なにか知らんあったようで(これが空の旅のフアン…)、那覇空港への着陸は1時間半ほど遅れて15時すぎ。

 ホッと、ひと息の空港ロビー、〈沖縄そば〉で小腹ごしらえ。
 空港が整備工事をしているとかで、臨時に移転中のレンタカー事務所までマイクロバスで移動。
 旅行客の多くがレンタカーを利用する沖縄、手続き・配車の順番待ちもあって、街に出られたときには、もう午後4時をまわっていた。

 しかも、折から雨模様。
 予定変更はやむをえないし、すでに、ふつうなら宿のチェックイン・タイムだった。
 けれども、ぜひとも見とどけておきたいところがあった。

 カーナビに行き先を入力したが、うけつけてくれない。
 名称のほかは、所在住所・電話連絡先もわからない。
 やむなく、近辺と思しきところを目的地に指定して、紆余曲折の末、ようやくにたどり着く。

 すでに薄暮の、夕刻5時すぎ。
 嘉数〔かかず〕高台公園の、小ぬか雨に煙る広っぱでは、遊びざかりの少年たちがサッカーボールを蹴っていた。
 (このとき気づいた、カーナビがうけつけなかったわけ、それは「高台」をただの「台」と思い違いしていたからで、カーナビは正式名称でないとケッシテ認識してくれない、予測検索なんてとんでもない仕組みなのだった…)

 写真撮影にも限度ぎりぎりの状況、高台にある公園の、さらに高みへと100段以上はあろうか、急な石段を、傘を片手にボクは懸命に攀じ登った。
「オキナワへは、観光に行く気にはなれませんものね」
 出かける前、同世代の女性がいっていたコトバが、耳の奥にくりかえし想いだされた。

 展望台に立つと…。
 すぐ眼下、真っ正面に延びる軍用滑走路、普天間飛行場のエプロンに、出番を待つ俳優さながらに控えているものが望まれた。
 (オスプレイ!…)
 すっかり映像では見慣れた、しかし実物を見るのは初めての特殊な機影が、これが軍隊の規律であろう、3枚翼の1枚をキチンと上向きに揃えて隊伍を組んでいた。
 (いま、たしかにオキナワにいる)
 そのことをしっかりと、わが魂〔まぶい〕に言い聞かせて、ぼくは宿へと向かった。