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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

解体すすむ国立競技場に想う/          せめて人工地盤はキャンセルしたい

オリンピック・スポーツ

-No.0564-
★2015年04月08日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1490日
    (高倉健没から →  149日
★オリンピック東京まで → 1934日













◆解体なんて重機があれば簡単ダ

 ひさしぶりの国立競技場、3月末。
 地下鉄の駅から千駄ヶ谷門に出ると、入口は閉ざされ、フェンスで覆い隠されたなかを覗くと、すでに解体工事も半ばと見うけられた。

 やかましい騒音を想像していたが、現場空間が広いせいだろうか、たまたま…かも知れないが、あんがい静かなものだった。
 うずたかく盛り上がる瓦礫の山が、《11.3.11》大津波後の東北地方沿岸を想いださせるけれど、この瓦礫には日常生活をにおわせるものや、強烈な潮煎り陽晒し臭はない。

 事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)の建物も、早々に移転。新国立競技場の建設にあわせて新設を目論んでいる。

 さまざまに異論や反対の声が渦まくなかで、ついに現競技場の修理再生案も無下に退けられた。
 そりゃ、誰にしたって真っ新から上等なものをこしらえたいのは人情だろうが、いい対案や提案があればよろこんで考慮するくらいの度量がなければ、国民的な喝采はえられまい。

 どうも、こんどの国立競技場解体・新設の流れをみると、「決めてしまえばこっちのもの、他人さまの懐に手を突っ込んででも欲しいだけ金を使いたい」やり口は昔のままだ。

 青山門の前まで来て、競技場スタンドの上空に高く聳え立っていた照明塔のひとつが、すでに無くなっているのに気づく。
 警備会社の雇われさんが言うには、「でっかいクレーンもってきてさ、吊り上げる準備したら、脚をちょん切られてハイ、どっかへ持ってかれてオシマイだよ、びっくりするほどアッサリ簡単、こんどは何時かわかんないけど、見れたら見てよ、見ものだよアリャ」だそうデス。

 道を挟んで南側の地つづき区画も、日本青年館をのこして、憩いのテラスと明治公園の部分がすっかり工事用フェンスで囲われており、予定どおりの規模拡張、準備進行の腹でいることは間違いない。

 解体の進むスタンドの断面が露わになって望まれ、壁のなくなった競技場の広さが身に沁みる。
 これをはるかに上まわる、国威発揚の巨大施設が、これからの人口減少時代に必要なものなのかどうか…。

 ことし2月に、日本学術会議(国に政策提言する科学者の代表機関)から「競技場本体周辺の開発計画を見直し、森として整備するよう求める」提案があった。
 提案の主旨は「新国立に緑の森を」で、あくまでも実現しやすさに重点をおくため、競技場本体にはあえて言及せず、景観の専門家らが周辺の環境に絞って方針転換を求めたものだ。
 
 それによると、現計画では競技場周辺を人口地盤でかさ上げすることになっているが、これでは樹木が根を張るには不十分すぎる、だから人口地盤と地下開発を止め、地面を活かす植樹をして豊かな森に仕立てようという。
 この提案に沿って進めれば総工費の大幅削減もできる、と。

 うかつなことだったが、ぼくもこの提案で指摘されるまでは、人口地盤の大規模に注意が向かなかった。
 ウワモノに眼が奪われてしまっていた。多くの方が、きっとそうではないか。
 これが設計のもつコワサでもある。

 事業主体側(JSC)の「これしかない」という論法は、わが国の首相も大好きで、人民に対しても説得力のあるものと勘違いしているようだけれど、それは、頭が固すぎるか考えが狭すぎるかの証明にしかならない。
 ほんとに頭がいい(…と自認する人に多いあやまちだが)のであれば、それくらいのことは疾っくにわかっているはずなのダ。

 日本スポーツ振興センター(JSC)は、黙ってすぎゆくままに時間ばかり稼ぐのではなしに、少なくともこの提案には真摯に耳を傾ける責任がある。
 なぜなら、「2020年東京オリンピック後の東京をどうしたいのかのビジョンが何もない」現計画への指摘は、ホントだからだ。

 競技場の解体そのものは、今年秋までには済んでしまうだろう。
 それでも、まだ半年の猶予はあり、考え検討する時間もある。
 その努力もせず、その時に至って「決まったことだから…」なんてタワゴトは聞きたくもないし、許されもしない。