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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》長崎巡礼⑱-日本最西端の駅からの帰途-/在来線列車のスピードにイエローカードだ

旅・散歩・遊ぶ 思うこと・考えること

-No.0563-
★2015年04月07日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1489日
    (高倉健没から →  148日
★オリンピック東京まで → 1935日





◆これで長崎巡礼を終える

 翌朝、宿に頼んでおいたタクシーで帰路につく。
 「MRの駅ですね」
 運転手さんに確認されて、一瞬、ぼくはツマりかけた。
 MR…すなわち松浦鉄道の略称だった。
 「どちらから」
 「東京です、いまから帰っても着くのは夜になるんだよね」
 「へぇ…そうですかぁ」

 「たびら平戸口」の駅前には、「日本最西端の駅」という木の標柱がある。
 ぼくが「片道最長キップ」65日間の旅をした昭和47年、かつての国鉄時代、この駅は「平戸口」の名で、隣りに「田平」駅があったのだ。
 国鉄からJRへ、そして第三セクターへと変遷していくなかで、駅の数もふえ、それにともなって駅名の付け替えなどもあったのだろう。

 伊万里を経由して、有田までが松浦鉄道、これで松浦半島を周遊したことになる。
 有田の駅で、博多行きの特急列車を待つ間に「有田焼カレー」の駅弁を見つけた。
 乗車してすぐ、まだ温かい弁当をひらくと、中身は”有田焼”の陶の容器に入った”焼カレー”。弁当の名称が懸詞になっているのだった。旨かった。

 列車が、まぁ、よく揺れる。
 来る時にも感じたことだが、とにかく目いっぱいのスピードで突っ走っているのがわかる。

 北陸新幹線の開通で、また新たな高速鉄道網の前途がひらけたのはいいが、いっぽうでは在来線の不遇にますます拍車がかかる、老朽化もすすむ。
 それでも新幹線にならってスピードアップが追求される、結果、JR北海道であったような事故や不祥事の心配がふえる。
 現実、4月になったばかりの津軽海峡線の長大トンネル内でも、車両火災という怖い事故があったばかりだ。
 
 いま、豪華列車の投入でウケにいるJR九州
 在来線にも、さまざまなアイディアがもちこまれているのは評価できる、けれど、どうか保守メンテナンスの方も怠りなく、願いたいものだ。
 いまのスピードは、在来線レールの限度ギリギリまで来ている、と感じられる。

 関門海峡を越えて九州をあとに。
 東京行きの「のぞみ」車内の電光掲示板に「山陽新幹線全線開通40周年」の文字が流れる。北陸新幹線開通で奪われる客足の、減少幅をできるだけ少なく喰い止めたい、のはとうぜんダ。

 姫路城公開まぢか…の知らせも流れ(いま現在はすでに公開中)、”夢の超特急”は春よとどけと突っ走る。
(それにしても寒い3月はじめの長崎巡礼ではあった…)




*写真=上段は、松浦鉄道「日本最西端」たびら平戸口駅にて*
*写真=下段、(左)は有田駅の駅弁「有田焼カレー」、(右)は車輛の半分が指定席という変わり種JR九州の車輛*