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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》長崎巡礼⑬-稲佐山から浦上を望む-/ 川すじの眩しい反映に魅入られて…

旅・散歩・遊ぶ 思うこと・考えること

-No.0556-
★2015年03月31日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1482日
    (高倉健没から →  141日
★オリンピック東京まで → 1942日









◆なぜ長崎だったのか…

 ぼくは、野母崎からの帰路も、上空からの俯瞰イメージで市街をめざした。
 天気が回復して、陽がさしてきたのも幸い。
 ぼくたちはそのアシで、稲佐山へと駆けあがる。

 標高333メートルにある展望台は、長崎の夜景ポイントとして有名だけれど…ぼくにはぼくの目的があって、その望みにもみごとに応えてあまりある眺め、まさしく絶妙。

 野母崎から追ってきた俯瞰イメージを、そのままに引き継ぎ、長崎港の湾入から、浦上川を遡っていく流れの先まで、おおきく見晴らし見通すことができた。

 なぜ長崎(に原爆が落とされたの)だったかは、いまも確証がない。
 それは、広島についてもおなじことがいえるのだけれど。

 さまざまに推測される理由、その根底にあったのは「新型爆弾の威力のほどを知りたい」ということ、だったろうと思われる。

 そのために、これまでの空襲被害(アメリカからの加害)の少ないところが好都合だった。
 くわえて地形も、周囲を山地にかこまれた川口集落のような成り立ちがいい。
 (広島も、三角州に開けた”水の都”だ)

 ついでに、軍事施設や軍需工場もひっくるめて叩いておきたい。
 すでに制空権も制海権も奪取した戦争末期の、ニッポンに戦意喪失の最後の大打撃を…ともくろむ、これがアメリカの狙いであったろう。

 ほかに、小倉や新潟、横浜や京都なども一時は候補にあがっていたのだ。
 他所でもよかったのに、終には選ばれてしまった…。

 戦争というものが、かくも苛烈に人を追い詰めつくすこと、完膚なきまでに相手を打ち倒さなければおさまらない惨澹に、コトバもなく、ただ心ふるえる。

 原爆投下は、好天の日が選ばれた。

 8月9日の昼前。
 長崎港上空から進入した爆撃機は、浦上川を見すえて飛んだろう。
 原爆投下の位置やタイミングには厳命があったろうが、操縦士も人の子。

 真夏のつよい陽ざしを照り返す川すじの美しさに、思わず魅入られたのではなかったろうか…。

 投下後の原爆炸裂を、操縦士はどのあたりから、どんな思いで見たのだろう…。