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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》長崎巡礼⑫-野母崎へのドライブ-/  原爆投下爆撃機の飛行コースを想って…

旅・散歩・遊ぶ 思うこと・考えること

-No.0555-
★2015年03月30日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1481日
    (高倉健没から →  140日
★オリンピック東京まで → 1943日









◆レンタカーで野母崎

 このたびの長崎巡礼記、着いた日の午後から翌日いっぱいまでで、もう11回ですか。
 けっこうイケるもんですね…じぶんで感心してれば世話はない。

 じゃ12回め、いきます。

 翌朝、長崎駅前のレンタカー営業所へ。
 車の予約は出かける前にしておきました。

 長崎市街の南南西に突きだす野母崎に行ってみたかった。
 ”海人間”のぼくは、岬のような出っ張りがあると、どん詰まりまでいきたい誘惑に駆られます。

 ぼくにとってのパワー・スポットは、水際と水平線の間にあるらしいからですが…もうひとつには、飛行機のパイロット目線から見たときの、野母崎から長崎市街にかけての道筋(空路)のありようを想像してみたかった…。

 市街の車の動きを見ていて、「長崎の人もけっこうせっかちらしい」と踏んでいたぼくは、いつもより慎重派のドライバー。
 他所者ならとうぜんだったし、ついでに借りた車が、たまたま新車の小型。

 雨はあがっていましたが、曇りがちな空、吹く風はまだまだ冷たかった。
 30分ほど走らせて、三菱造船所のある香焼〔かやぎ〕の鼻をすぎると、西の海に、以前ヒラメの養殖を見学に行ったことがある高島、その先に”軍艦島”とも呼ばれる端島が車窓に寄り添ってきます。

 ぼくは車を走らせながら、心の目は空から下界を俯瞰しています。
 すると、思ったとおり、針路としてはじつに明瞭で気もちがいい。

 そうです、ぼくは、1945年8月9日の昼前、重い原子爆弾を腹に抱えた爆撃機が進入してきたコースを想っていました。
 実際にはどうであったか知りませんが、重大な局面、緊迫した状況での飛行に、こむずかしい針路指示はない、でしょう。

 野母崎は、花の季節なら別でしょうが、これといった趣はないところ。
 観光バスのコースには、なっていないワケでした。

 それでもぼくは、権現山の上に立つと、沖を眺め、振り返って長崎市街の方角へ視線をなげました。指差しこそしませんが、”確認”です。

 そこには、主要各方面への距離標柱があって、それを見ると〈札幌と香港〉〈台湾と東京〉がほぼ似たような距離にあって、沖縄のほうが東京よりも近かった。

 五島灘天草灘とに挟まれた野母崎の台地から、遥かに眺める海原は東シナ海
 その南には、太平洋との間に、沖縄へとつづく南西諸島の連なり。
 この、ユーラシア大陸に沿って点々と咲くかのごとき島々の連なりは、かつて花綵〔かさい=はなづな〕列島とゆかしく呼ばれたこともありました。

 台地上には中型くらいの梵鐘もあって、自由に撞いてかまわぬ、と。
 まわりには迷惑になる民家もなし。
 ボクは思いきって3点、撞かせてもらいました。

 浦上天主堂の鐘とはちがって、おもいけれども海風にも吹き飛ばされない性質〔たち〕の、いい音色が響き渡りました。

 ぼくは、ひとり勝手に、ナットクしていました…。