どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》長崎巡礼⑪-大浦天主堂とグラバー邸-/”坂の街”は探すものになっていた

-No.0553-
★2015年03月28日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1479日
    (高倉健没から →  138日
★オリンピック東京まで → 1945日

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◆”国宝”大浦天主堂の貫録まざまざ

 昼食休憩の間に、外の雨は小降りから本降りへ、雨脚の筋が見てとれるほどになっていた。
 …でも、予定変更は惜しいし、たしかめておきたいこともあった。
 それは、”坂の街”の実感。
 ホテルの窓から眺められる風景や街中の散策、浦上あたりの逍遥では、やはりものたりないものがあった。

 かつての記憶にのこる長崎は、キツイキツイ”坂の街”。
 喘いで喘いで、しばらくは脇目もふらずに上って、振り返ると「お~ぅ」と思わず歓声の海景が眼下にあったのダ。
 近所に住むらしいお年寄りが、彼女は息も切らさずに、こっちを見て笑ってござった…。

 それが、グラバー邸へとつづく坂道だったと思う。

 市電は、観光の若者たちで混んでおり、どうやらすでに春休みシーズンらしかった。
 市内でも随一といっていい観光名所は、けっこうな坂道には違いなかったけれども、洋風に気どった造りの敷石道は、すでによくできた舞台装置の感があった。

 国宝の大浦天主堂にいたると、傘の列が前庭に群がり、三々五々、石段を上り下りして、たいした人気、人気が人気を呼んでいる。
 堂内を観覧する人のかずも、浦上天主堂とはくらべようもないほどに多かった。

 ぼくらが訪れたのち、大浦天主堂では3月17日に、宗教上の奇跡ともいわれる〈信徒発見〉から150年の記念ミサがおこなわれた、という。

 天主堂の脇からグラバー園へとつづく。
 便利なようで、けじめのつかなさが気になりもする。
 …が、それも若者たちにはおかまいなし、らしい、仲間とわいわい喋りながら、そこがどこであろうと、いつも自分たちの世界にいる。

 ”グラバー園”は、かつて外国人居留地だった南山手の高台に、市内にあった洋館8棟を移築した公園のことだけれど…。
 ぼくが前に訪れたときは、”グラバー邸”。こんなに広大でなく、シンプルにあった。
 傾斜地にかわりはないわけで、しかし、そこにいまはエスカレーターが設置され、らくらくと上がった高みから下りつつ巡れる仕掛けで、親切ではあるが、港を見下ろす高台に居をかまえた”異人さん”の心境に思いをいたす、情緒は霧と消えた。

 濡れた靴あとの乱れる洋館の床も、それだけでずいぶん、みじめな気分にさせるものなのを、園を管理する方はお気づきにならないのだろうか…。
 ”坂の街”感覚は、あきらめたほうよさそうだった。

 みやげもの館に誘導されるのを嫌って、裏口から外に出て。
 ふと脇を見ると、古く狭く忘れ去られたような、石段がそっと下っているではないか。
 「あったぁ、これこれ、こんなだったんだよねぇ」
 ぼくは思わずはしゃいだ声になって、かみさんを振り返ると、トントン下の浜通りへと下って行ったのだった…。