どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》長崎巡礼⑥-ああ長崎の鐘アンゼラスの鐘-/あの鐘は、いまも鳴らされているのだろうか

-No.0542-
★2015年03月17日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1468日
    (高倉健没から →  127日
★オリンピック東京まで → 1956日





浦上天主堂、アンゼラスの鐘

 原爆資料館から浦上天主堂へと歩く。
 この道にも、旅姿こそさまざまだけれど、ほかの観光客とはもちあじの違った若者の姿が見られる。独りではなく、3~4人の小グループが多かった。彼らはなにを想うのだろう…。

 高校2年の春、この道を歩いたときのぼくは、いま仏教系に学ぶじぶんが、まさかカソリック系の私立大学に進むことになろうとは、思ってもいなかった。
 礼拝堂に立ち入ることにさえ、遠慮があった。

 ただ、長崎の街に鳴り渡る鐘の音は、ぜひ聞きたいと思っていた。
 打楽器の音の、簡潔・率直・一途なところが好きで、鐘についていえば、お寺の鐘も教会の鐘もともに好ましかった。
 そうして、”坂の街”長崎には鐘の音が似あう、というイメージはとても気分がよかった。

 『長崎の鐘』は、アンゼラスの鐘。
 一般には、藤山一郎さんがNHKの紅白でも唄った曲(サトウ八ロー詞、古関裕而曲)で知られるが、ぼくには、みずからも被爆者の永井隆博士の詩、「ああ 長崎の鐘は 鳴りわたるなり」で記憶されていた。

 東洋一の規模といわれたロマネスク風の大聖堂は、左右双塔からの鐘の音を、日々朗々と鳴りわたらせていたろう。
 原爆落下中心地に近かったため、無惨に破壊された大聖堂の一部遺構は、原爆資料館などにも手篤く保存されている。

 双塔に吊るされてあった大小の鐘のうち、大きい方の鐘だけが、ほぼ無傷の状態で瓦礫のなかから掘り出され、再建(1959昭和34年)なった聖堂の右塔にもどされていた。

 けれども、あのとき、青春の日のぼくは、ついに鐘の音を聞くことかなわずに、長崎の街をあとにした、それがなんとしても心のこりであったのだ。

 時代が大きく変わって、いま歩く浦上の街のみぢかな丘に、天主堂のある風景は、あの頃よりずっと、はるかに明るくなっていた。
 こんどは、おちついて礼拝堂の床を、ステンドグラスの窓からの薄明りをたよりに歩かせてももらった…けれど、なぜかしら、事務を執る係の人に「あの鐘はいまも鳴りますか」と尋ねそびれてしまった…。

 いま各地で、なにかと音の問題を追及する声が喧しく、(騒音ではあるまい)鐘の音などにも影響があるらしい…やや腰のひけた気分があったのかも知れない。