どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》長崎巡礼⑤-ぼくの苦手な閉じ籠める空間-/長崎原爆資料館であったことなど

-No.0541-
★2015年03月16日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1467日
    (高倉健没から →  126日
★オリンピック東京まで → 1957日









◆熟しきった柿色の…

 雨、降りやまず…。
 長崎原爆資料館へ。

 〈強制的に囲いこまれる〉感じにコシラエられた、博物館とか資料館とかが、ぼくは苦手だ、どうにも息がつまる。
 ぼくが望む資料館や博物館は、オープン・エアなもの、展示エリアと外の空気(空や土)とが連続して、出入りを繰り返せること、自由に行き来できなければ、感受性も息詰ってしまう。

 だって、そうでしょ。
 感動がある…と、だれだって天を仰ぐ、そこには無粋な天井なんかじゃなく、空がなければならないんデス…晴れてなくても、雨でも、風でも。

 気が散るから…って、マジメな人は、閉じ籠めようと考えますが。
 感動って、気がハジケ散るものですよね、辛気臭くうつむくもんじゃない、思いっきり気を散らした後に、のこるものがあればいい。

 ……ボクだけ、ですかね、そんなふうに感じるの。
 ですからぼくは、かなわない望みを封じ籠めて、館内の静粛な展示の見学に耐えます。

 韓国からの、観光客らしい一団がありました。
 (観光なら他所へ行けば)よさそうに思えるのですが、やっぱり原爆のことには興味があるのでしょう。
 かの国の人々には、なぜ日本人はアメリカを恨まないのか、といった感想が少なからずあるらしい。
 ワカラナイ…ではありません。

 その彼らが、長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」の模型の前で、入れ替わり立ち替わり記念撮影をする、さすがに遠慮気味ではありましたが。

 ぼくは、かの国の一団をやりすごす間、落下炸裂の瞬間11時02分で止まった柱時計に見入っていました。

 (お~~~~~~~ぃ)
 
 と、分厚い紗の壁の向こうからのような、声がしました。
 《11.3.11》のことがあってからは、なくなっていた声でした。
 呼びかけるでもなく、呼びかける声。
 やっとこ脱けだせたか…と思っていた声が、還ってきました。

 「熟しきった柿色の…」
 小学生のぼくが読んでいました、じぶんの詩を、原爆の空を。
 「きみが生まれる前のことだね」
 あとで先生がいいました。

 それからしばらくの間、ぼくはみんなから「うそつき」「きちがい」呼ばわりされたことを、さっき、館の入口へと下りてくるスロープの途中から見た窓の色に、想いだしていました。