どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》長崎巡礼②-「きょうも雨」になりそな-/”坂の街”がぼくを待っていた

-No.0538-
★2015年03月13日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1464日
    (高倉健没から →  123日
★オリンピック東京まで → 1960日









◆旅の計画にはなかったことがかさなって…

 朝一番、6時のバスで出発。
 在来線から東海道・山陽新幹線に乗り換えて博多まで約5時間、博多からの特急約2時間、8時間かけて長崎着。
 長かった、夜行の寝台列車があればいいのに…と、時勢とは逆のことを思う。
 新幹線に、夜間はスピードを安眠圏にダウンした寝台列車を運行すればいいのに…。

 駅のすぐ脇を市電が通る、長崎の町の空気は、かわらないなかに更新の気運が充ちていた。
 寂れない風景に出逢えることは、旅人にとって、珍しいことになってきている近ごろのニッポンだった。

 時間は午後3時に近く、長崎の空はどんよりと曇って天気はどうやら下り坂、明日は雨になる気配が濃厚だった。
 ぼくの予定では、ホテルに荷物を置いたら、まずは港の方へ、海を、長崎の潮風を嗅ぎに行こうと思っていた。
 海を見て内陸のことを想う…のが、ぼくの旅の在り方なのだ、この島国ではそれが自然だし、さまざまな事情をのみこむのにも適している。思いもよらない奥まった森まで、潮の香りのとどくことがあったりする。

 ところがタクシーに乗ったら、運転手さんに「ランタンフェスティバル中で道が混んでいる」と告げられた。
 ことしの祭りは2月19日から3月5日まで、中国の春節にあわせて開催され、外国からの観光客も多いのだ、と。運転手さんはぼくらもそれを目的に来たものと思ったらしい。
 ところがそんなこと、まるで知らずに旅の計画をたてたボクとしては、街のいたるところに賑々しく提灯の飾りたてられた、フェスティバル風景に出逢えたことはラッキーだった。

 もとより、お祭りだいすきなボク。
 予定を変更して、繁華街に近い高台にある長崎歴史文化博物館を見学してから、ランタンの灯り始める街へと下って、散策と食事を愉しむことにした。

 ”長崎歴文”で「聖母が見守った奇跡」展がおこなわれていることも、旅の切符を予約した後になって知った。
 ぼくの目的はあくまでも、戦後70年の長崎巡礼だった。

 この展覧会に心うごかされたのは、展示品の多くが”里帰り”するという特殊な事情だった。
 幕末のキリシタン弾圧のとき、国家権力によって没収された遺品が、それらを保存していた東京国立博物館から貸し出される…という、しかも、200点余りもの国の重要文化財を一挙にということが異例の対応だ…と。

 このことを報じる新聞記事には「キリシタン弾圧 雪解け?」の見出しがあった。記事には、およそ150年にわたる負の歴史を見直し「和解」を目指す動きとして注目される…とあった。
 (そうか…)と、迂闊にもぼくは、虚を突かれた思いだった。
 こうした文化的なところにも、”国”というもののもつ苛烈なまでの負の側面、隠されていた深い傷痕が、パックリと裂けて露出する。

 展示品から受けとったものも、大きく、印象に深すぎる感があって。
 「ロザリオ」「踏み絵」「ザビエル」、3つのキーワードを、ここでは挙げておくにとどめたい。
 踏みこんだ話しは別のきかいに、上智というザビエル以来の伝統を受け継ぐカソリック大学に学んだ、自身は仏教系のボクのこともふくめて、語りたいと思う。

*写真、”坂の街”長崎の丘の麓にある長崎歴史文化博物館、この企画展示の紹介は同館のホームページより借用、ここにもランタンフェスティバルの赤い提灯が…*