どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》長崎巡礼①-長い道中のこと-/    ぼくは「のぞみ」車中でウォーキングを試みる

-No.0535-
★2015年03月10日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1461日
    (高倉健没から →  120日
★オリンピック東京まで → 1963日

 きょう10日は、東京大空襲から70年。
 ニッポンという国が、もはや戦中どころか、十中八九七転八倒、混沌霧中狂奔叫喚のなかにあった…と、ぼくはのちに父母から聞かされた。
 これでオワッタ…と。まさかその後にピカドンがあるとは思わなかった…とも。
 その頃のボクはきっと、個体発生のまだ途中。
 母の胎内で、系統発生の爬虫類から鳥類…哺乳類に近づきつつあったろうか。
 ナニを嗅ぎ、ナニを聴き、ナニを味わい、ナニを感じていたのか、知らない。
 暖かい闇にくるまれ、ただ懸命な存在だったろう…。











◆いまごろになって「のぞみ」に初乗車

 《戦後70》長崎巡礼の旅立ちは、3月2日・月曜日。
 横浜線沿線に住むぼくは、新横浜から新幹線に乗る。
 かつての”乗り鉄”片道最長キップ男が、「のぞみ」に乗るのはこれが初めてだった。

 《11.3.11》のことがあってから、こっち、ずっと北を目指しつづけてきたこともあって、東海道新幹線じたいが珍しい。
 2010年に京都・奈良に旅したときの「ひかり」以来か…いや待て、2013年の晩秋には伊勢詣りに出かけているが、あれはまぁ「こだま」クラスのことだったし…。

 雪化粧が薄っすらしてきた富士山を見おくって、トイレに立ったかみさんが、
「びっくりしちゃった」
 席にもどって声をひそめる。
 バリアフリーの広いトイレが、ボタンひとつの自動開閉だったと。
「まごまごしてたら、若い人に教えられちゃったヮ」
「あぁ、あれな」
 とボク、自分もついさっき知ったばかり、のことは黙っていた。

 名古屋と京都で乗り降りがあり、新大阪でドヤドヤ乗降騒ぎのあとは、落ち着いた目減り傾向。このへんの事情に以前とおおきなかわりはない。
 姫路では”白塗り”白鷺城が、ほんに初お座敷の芸妓さんみたいに「おいでやす」。
 (どうやら大天守の保存修理もすんだらしい)

 博多まで、およそ5時間の座りっぱなしはコタエる。
 (しかし、それでもボクは飛行機のことなどコレッポッチも考えない)
 乗客もやや少なめに、皆さんいいかげん乗り飽きてもきたろう、頃あいを見はからってボクは「のぞみ」N700系の一編成16輛、全長約400メートルを端から端まで一往復してみた。
 車内販売のワゴンが行き来し、用足しの乗客が通り、警乗の鉄道公安官が見まわり、車掌がなんやかやと乗務をこなす、他にくらべればゆとりの車内とはいえ、通路の譲りあいにはけっこうなフットワークが要るし、車体の揺れに応える踏ん張りもなかなか…ついでに車掌さんからは「なにかお探しですか」などと尋ねられたりする始末で、トラック2周分のウォーキングには、さすがに草臥れた。

 博多で1時間の待ちあわせ。
 つけ汁の甘い蕎麦をすすってハッと気がついた…というか、取材で全国とび歩いていたときの旅なれた感覚がよみがえった。
 総じて西日本の”たまり文化圏”では醤油が甘く、色も濃く、なかでも九州の醤油では刺身の味がどうもイケナイ、そこで、こちとら関東「むらさき」派としてはやむをえず、家から醤油持参で出かけたものであった。
 いまになって思えば、ずいぶんイキがってたもんですね、あの頃は…。

 ともあれ、長崎本線の特急「かもめ」に乗り継ぐ在来線ホームに出たら、なんという風の冷たさ、寒さ。
 九州もまだ冬の最中であったと、肩をすぼめて思い知るボク。

 列車が、スピードめいっぱいに上げて、派手に揺れる、”特急のおまけ”付きみたいに。
 そこでまたボク思い知らされる、レール敷設の精度は中央から地方へと、ほぼ順当に逓(低)減して、列車は賑やかに揺れ躍るのであったことを。

 「諫早」の駅が、妙にしんみり懐かしい。
 想えば…”ギロチン水門”騒ぎで有明海が注目を浴び、諫早湾干拓の賛否で沿岸がわいた、(ボクにとっては)あの頃いらいの九州行なのだった…。