どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

FEN(ファー・イースト・ネットワーク)で聞いた/ビートルズの新曲『イエロー・サブマリン』

-No.0522-
★2015年02月25日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1448日
    (高倉健没から →  107日
★オリンピック東京まで → 1976日




◆ぼくはラジオをチューニング

 きのう24日の記事で…。
 イスラム国(IS)から敵視されても、やっぱり遠い”極東”日本のことに触れた。

 そのとき、ふと、ぼくはあるラジオ放送のことを思いだし、車にエンジンをかけた。
 出かける用はなかったが、ラジオというといまや、ぼくに身近なのはカーラジオである。
 とうぜん走りながら聴くことになるわけで、ぼくはその習慣にしたがう、つまり、「車でお散歩」としゃれこむ。 

 ぼくが探したのは…。
 FEN「Far East Network(極東放送網)」という、アメリカ軍用の放送局。
 ひさしぶりにカーラジオをチューニングしてみると、健在であった、けれど、局名はAFN「Amerikan Forces Network(米軍放送網)」に替わっていた。
 受信の音声は明瞭…むかしにくらべると感度はばつぐんによく、それに、いまはステレオ放送になってるみたいだ、スゴ~イ。

 車をゆっくり転がしながら、想いの翼を解き放つ。
 いまは遠い青春の日…。
 1967(昭和41)年、大学2年生のひと夏を、ぼくたち男子学生4人は南の離れ島にすごした。
 「宝島」という名もステキなら、おっぱいの形をした姿も愛らしく、サンゴ礁の、夢のような、離れ小島。
 鹿児島から波路遠く300キロ、種子島屋久島などの大隅諸島よりさらに南、奄美大島との間に連なる吐噶喇〔とから〕列島の最南端という、夜空に南十字星を仰ぐ位置にあった。

 宝島にはその頃、なんとかNHKのテレビ電波は届いていたけれども、ぼくらが家賃月1000円で借りたブロック建築の借家には、もちろん受像機などあるわけもなく、ラジオ放送だけが外部との接点だった。
 しかも、そのラジオ電波にしてからが、国内放送なんかより「Far East Network」の米国語アナウンスの方が、なぜか聞こえもよくて親しげで、ぼくたちはその放送に耳を傾けることで、故郷を遠く離れた旅愁にスッポリくるまれていたのだった。

 このFENは、太平洋戦争中に米軍兵士を激励するために始められたもので、戦後はボクが生まれた1945(昭和20)年の9月から在日米軍向けのラジオ放送として親しまれてきたもの。

 ぼくらが居た宝島に届いていたのは、佐世保か沖縄からの電波だったのでしょう。

 その放送の役割はハッキリ、祖国を離れた基地に暮らす軍人や家族に、ニュースにしても音楽や娯楽にしても、本国と同じ最新情報を提供する番組づくりでした。
 それこそ流れるように流暢な「ファー・イースト・ネットワーク」のアナウンスは、ほとんど内容は聞き分けられないながら、世界の”最新”であることをプンプンにおわせる性質のものでした。

 圧巻だったのは、当時の音楽界を席巻していたビートルズの新曲『イエロー・サブマリン』を、この放送の音楽番組のおかげで、日本人のだれよりも早く聴けたこと。聴いて「これはきっと流行る」ことを予感したぼくらは、キャンパスにもどるとさっそく、いっぱしの音楽評論家きどりで学内の話題をさらっちゃいましたっけ。

 『イエロー・サブマリン』がアルバムにリリースされたのは1969年でしたから、ぼくらはそれより以前の、テレビ・アニメにつけられた曲を聴いたのでしょう。
 サンゴ礁の浜に遊びながら耳にした『イエロー・サブマリン』は、環境効果も抜群でしたね。

 とにかく、ぼくらにとって、そんな天の恵みの「ファー・イースト・ネットワーク」。
 ”極東”という世界の、いかに遠くあることかを、ひとつの電波が教えてくれてことでした。

 そうして、その”極東”の意味はいまも、形を変えて生きていることに、ハッと気づかされるのです。
 ぼくら日本人は、この”極東”に在る意味を、いつも忘れてはいけないと思うのデス。