どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

原発立地の住民が”安全神話”を欲しがる/     電力大量消費地の住民は”原発”に無関心

-No.0519-
★2015年02月22日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1445日
    (高倉健没から →  104日
★オリンピック東京まで → 1979日




◆”安全神話”意識は卒業しないとイケナイ

 原子力規制委員会田中俊一委員長が記者会見(18日)で語った。
 新聞2面のあつかいは小さかったけれど、なぜもっともっと、目をむくほどに大きな注目記事にしないのだろう。
 この発言は、原発立地の地元民たちにむかって「地元は絶対安全、安全神話を信じたい意識があったが…」という前置きにつづいて語られた。

 つまり、それが「ナニをマネクことになるかを知ることです」といっている。
 この言葉は軽くないです、田中さんの気もちは誠意の吐露、といっていいんじゃないか。

 田中さんは、川内原発九電、鹿児島)と高浜原発(関電、福井)の”新規制基準”適合を決めたときに、
 「運転にあたって求めてきたレベルの安全性を確認した」
 と述べ。また、
 「絶対安全とは言わない」
 とも、付け加えている。

 この態度は、原子力規制委員会の委員長として狡いんじゃないか、という指摘もありますけど。
 技術的・設備的なことでは、まぁクリアしている、という見解。実際にどう運転され、想定外の事態にどう対処されるかまでは、判断できかねる、ということですよね。
 「責任のがれ」とまでは言えないんじゃないでしょうか。

 田中さんの立場としては、これがぎりぎりのところ、という気もするんです。限度じゃないですか、一科学者としては。
 国(政権)の意向もあれば、反対の民意が多いこともありますから。
 国にだって、”絶対の安全”の責任なんかとれるわけがない、ことは知れているし…。

 あとは、民意がいかなるものか、にかかってる。
 ナニからナニまで人頼みなんて、それはナイでしょ。安全まで他人任せにする気ですか…と。

 「科学的に100パーセント安全と言ったとたん安全性向上の努力を放棄することになる」
 とも、田中さんは述べてます。福島第一原発の事故も、その”努力放棄”の結果だと。

 原発がないと暮らしていけない、というのであれば、”万が一”の覚悟はいりますよね。
 原発電力がなければこまる、というのなら、他所から引っ張ってくるんじゃなしに〈自分たちのところでなんとかすること〉ですよね。

 誰かが、また新たな”安全神話”を呼びもどしてくれるのを待つなんて(そりゃない…)でしょ、あんまりってもんじゃないですか。